パパは奇跡を起こした──永眠した教皇フランシスコと南米フットボールの絆【現地発】

2025年05月03日 沢田啓明

「本当に素晴らしい方だった」(ロナウジーニョ)

死去の報を受け、サンロレンソのスタジアムに設置されたフランシスコ教皇の像。絆の強さを窺わせる。(C)Getty Images

 復活祭翌日の4月21日、アルゼンチン出身のローマ教皇フランシスコが亡くなった。88歳だった。
 
 2013年5月、南アメリカ大陸出身者で初めてローマ教皇に選出され、2か月後、最初の外遊先に世界最多のカトリック信者(推定1億8000万人)を擁するブラジルを選んだ。
 
 リオのコパカバーナ海岸で行なわれたミサには、空前絶後の370万人が集まった。15年には、ボリビア、エクアドル、パラグアイを、16年には母国アルゼンチンを訪れた。
 
 パパ・フランシスコ(パパはラテン語で教皇の位)の先代ベネディクト16世はドイツ、その先代のヨハネ・パウロ2世はポーランドの出身だったが、必ずしもフットボールの愛好者ではなかった。
 
 しかし、フランシスコはアルゼンチン1部リーグに所属するサンロレンソの熱烈的なファンであり、フットボールに造詣が深かった。この点においても、南米のフットボールファンから好感を持って迎え入れられた。
 
 彼がローマ教皇となった翌年の14年、サンロレンソは5年ぶりにコパ・リベルタドーレスに出場。グループリーグで2勝2分け2敗と苦しみながら辛うじて2位で勝ち上がり、ラウンド・オブ16ではグレミオ(ブラジル)と対戦した。
 
 ブラジルでは、多くのファンが「パパのクラブに勝つんじゃないぞ」とグレミオにプレッシャーをかけた。ホームとアウェーで戦った両チームの勝敗は1勝1敗で、得失点差でも並んだが、PK戦の末にサンロレンソが勝ち上がった。
【画像】フランシスコ教皇とロナウジーニョの貴重な2ショット
 準々決勝でもブラジルのクルゼイロと対戦。やはり大勢のファンがクルゼイロの敗戦を願った。サンロレンソは1勝1分けでクルゼイロも退けると、準決勝でボリバル(ボリビア)を、決勝でナシオナル(パラグアイ)を倒して初優勝。南米中が、「パパ・フランシスコが奇跡を起こした」と沸いた。
 
 フランシスコは、フットボールを世界の異なる立場の人々を結びつける装置と考えた。実際、彼の意向でローマ教皇庁は14年、16年、22年に「平和のゲーム」をローマで開催。マラドーナ、メッシ、ロナウジーニョ、カフーらスーパースターたちが嬉々として出場した。
 
 この3試合すべてでプレーし、教皇に謁見した経験を持つロナウジーニョは、「僕たちが困難な時にも強い信仰を持つべきことを教えてくださった。本当に素晴らしい方だった」と教皇の死を悼んだ。
 
 ドラッグに溺れたマラドーナ、奔放な女性関係を持つロナウジーニョらがカトリックの教義に忠実だったとは言い難い。それでも、彼らがイエス・キリストの地上の代理人である教皇フランシスコを慕い、敬愛したのは確かだ。
 
文●沢田啓明
 
【著者プロフィール】
1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。1955年、山口県出身。 

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