事情通が選ぶ「フィオレンティーナの歴代最高助っ人TOP10」トップ2は一世を風靡した名コンビ

2025年04月30日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

日本でもお馴染みのあの闘将も

左からバティストゥータ、ルイ・コスタ、フレイ、ムトゥ。(C) Alberto LINGRIA,Getty Images

 セリエA最盛期に強烈なインパクトを放った「セブン・シスターズ」(ユベントス、ミラン、インテル、ローマ、ラツィオ、フィオレンティーナ、パルマ)を対象に、1975年以降のそれぞれの歴代外国籍タレントを、各クラブの事情通に独自のものさしで評価、順位付けしてもらった。

『スカイ・イタリア』のジャンルイジ・バニューロ記者が選出したフィオレンティーナの歴代最高助っ人TOP10は――。

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 1位にバティストゥータを挙げないファンは誰ひとりいないだろう。331試合で203ゴールを量産し、コッパ・イタリアにスーペルコッパ、そしてセリエB優勝の原動力となった。シュートを叩き込むたびに揺れる長い髪、96年のスーペルコッパの決勝弾の後に、テレビカメラに駆け寄って妻に叫んだ「イリーナ、愛してる」というメッセージ。「バティゴール」はどんな時でも唯一無二だった。

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 続くのは、そのバティストゥータとともにプレーし、キャプテンマークを受け継いだルイ・コスタ。94年から7年間フィレンツェで過ごし、エレガントな身のこなしからの華麗なドリブル、夢見るようなアシストを繰り出し続けた。6年間ゴールを守ったフレイは、爆発的な瞬発力によるスーパーセーブだけでなく、強いクラブ愛、そして金髪のカーリーヘアもまたファンの愛の対象だった。

 4位は80年代を代表する名DFパサレラ。85-86シーズンには11ゴールを挙げるなど、リベロとして守備はもちろん攻撃参加でも違いを作り出した。ムトゥが決めた54ゴールの中には、美しく、想い出深いゴールが少なくなかった。その筆頭が07-08シーズンのUEFAカップ準々決勝でPSV相手に決めた直接FKからの決勝弾だ。

 6位のドゥンガは激しい闘争心と秩序を中盤にもたらした。89-90シーズンにはバッジョらとともに、UEFAカップの決勝進出に貢献した。
 
 同じ中盤で2010年代に活躍し、フィレンツェへの愛着の強さから「シンダコ」(市長)と呼ばれたのがボルハ。引退後もフィレンツェに住み続け、アマチュアクラブで趣味としてサッカーを続けている。8位のベルトーニは、外国人選手への門戸が再び開かれた80年に最初に獲得されたアルゼンチン人ウイングだ。
 
 9位は、クラブ史上最高の8350万ユーロという移籍金を残してユベントスに去ったヴラホビッチ。ゴールを量産していたシーズン途中の移籍だけに痛みも大きかった。ヨベティッチは、入団当初からタレント性を発揮したが、これからキャリアの絶頂期を迎えようという時に大きな膝の怪我に見舞われ、復帰後も以前のプレーが戻ってくることはなかったが、それでもファンは彼を温かく見守り、愛し続けた。

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