中村憲剛が見据える夢の「続き」と、クラブが更新したふたつの過去最高

2016年06月26日 いしかわ ごう

16節・福岡戦を前に負傷した中村は言った。「こういうタイミングでこうなるのは……自分を呪うよ」。

怪我から復帰した最終節の大宮戦では、1得点・1アシストと圧巻の存在感を示した。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

 2週間前、川崎は2連勝すれば、自力での第1ステージ初優勝が決まる状況だった。その第一関門である16節・福岡戦を前にして、「自分たちが首位にいる理由」を中村憲剛はこう口にしている。
 
「なんで首位にいるのか。それは、自分たちのやるべきことをやっていたから。ボールを握って相手を押し込んで、奪われたらまたディフェンスする。そこがスタートだから。そこがすっぽ抜けて、別のことを考えると、またおかしくなるから」
 
 自分たちのやるべきことをやる。言語化するとほんの4秒だが、その「やるべきこと」をピッチ上で表現できるようになるまで、風間体制で丸4年の月日を要したことになる。
 
「長かったですよね(笑)。全然、サッカーをできないこともあった。個の力もそうだし、グループとしても、足りないところは多かった。そういう意味では、今はチームとしての積み重ねもあるのは感じますね」

 風間監督のもとでサッカーに取り組んで、中村も4つの歳を重ねた。「勝てば優勝が決まる可能性がある」という緊張感のあるシチュエーションを味わうのも、彼自身2009年以来だった。だからこそ、巡ってきたこのチャンスにかける想いは強かった。

「2006年に初めて2位になった時、『もう優勝できるな』と自分は思った。でもあれから10年が経ってしまった。毎年優勝争いできればいいけど、そんなにチャンスは多くはないかもしれないということを、今の若い選手には分かっておいて欲しいですね。自分もこのチャンスは逃したくないし、周りにも逃して欲しくない」
 
 そんな彼の想いとは裏腹に、異変が起きる。その福岡戦前日のこと。麻生グラウンドに中村の姿はなかった。この前日、つまり福岡戦前々日のウォーミングアップ中のボール回しの段階で、腰と背中に痛みが出ていたのだという。

 治療を終えてクラブハウスを出る時には、「情けないね」と漏らしてから、詰めかけていた報道陣に自分の現状を冷静に話した。そして悔しさを隠しながら、ポツリとこうつぶやいた。
 
「こういうタイミングでこうなるのは……自分を呪うよ」
 
 無念の離脱を余儀なくされた中村不在で臨んだチームは、福岡とドローに終わった。持ち帰ってきた勝点は1にとどまり、チームは首位の座を鹿島に明け渡して最終節を迎えた。

次ページ08年、09年と同じく「勝って鹿島の結果待ち」で朗報は届かなかったが…。

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