「みんながフィーバーして…」城彰二がJリーグ創設時の盛り上がりを回想「凄い人がいた。リネカーやストイコビッチ、カレカも。とんでもないよ」

2025年03月06日 サッカーダイジェストWeb編集部

メディア状況の変化がJリーグの追い風になる可能性も

Jリーグ創成期から活躍した城氏。(C)LUCE,Inc

 元日本代表FWの城彰二氏が、自身のYouTubeチャンネルでJリーグの創成期を語った。

 Jリーグが誕生した1993年に鹿児島実高の3年生だった城氏は、当時のJリーグブームについて「いろんな人を見て、チームの下敷きとか、グッズとか、必ずみんな何か1個持っているぐらいの盛り上がり方だった」と回想する。

 その後、94年にジェフユナイテッド市原(現・千葉)でプロキャリアをスタートした城氏は、「みんながフィーバーして、チケットが取れないぐらいの盛り上がり。94、95、96年ぐらいまでは爆発的に人気があった」と振り返る。選手のチケット確保にも影響があったという。

「ファミリーチケットというのがあって、選手は親を呼んだりとかできるチケットを配布される。最初、ホームの試合の登録メンバーには、選手1人につき10枚ずつ渡しますよって。でも、あまりにも他の人の分がなくなっちゃうからって5枚に減った」
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 また、「凄い人がいたのよ。ガリー・リネカーやサンパイオ、ラモン・ディアス、ストイコビッチ、ストイチコフ、カレカもいた。とんでもないよ」と、世界的な名選手も多数在籍していたと懐かしむ。

 それから四半世紀が経ち、Jリーグを取り巻く状況は変わった。民放での試合中継は、ほとんどなくなった。ただ、城氏はメディア状況の変化がJリーグの追い風になる可能性があるとの見解を示す。

「今はテレビが見られない時代になってきていて。有料チャンネルとかタブレットとか、いろんなので見られる。だから、上手く合わせていければ、違う形で盛り上がっていくのかなって」

 ただ、有料チャンネルだと視聴者が既存のファン・サポーターに限られるため、「もっと広く、浅く見ていただかないといけない」とも述べた。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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