「セリエAは最高のタレントが集まっていた」中田英寿がイタリア時代を回想、「忘れられない」試合は? 英雄マラドーナからの賛辞に「自分の名声は恵まれた偶然のおかげ」

2025年02月07日 サッカーダイジェストWeb編集部

「今と違って、欧州の主要リーグにアジア人選手はいなかった」

イタリア時代を回想した中田英寿。(C)Getty Images

 レジェンドからの賛辞が、日本サッカー界における中田英寿氏の功績を物語っている。

 元日本代表の中田氏が、現役時代にプレーしたイタリアのメディア『Rivista Undici』のインタビューに応じた。セリエAでデビューしたころを振り返っている。

 日本がワールドカップに初出場した1998年のフランス大会後、中田氏はセリエAのペルージャに移籍。ジネディーヌ・ジダンやアレッサンドロ・デル・ピエロらを擁した名門ユベントスとのデビュー戦で2得点をあげ、一躍脚光を浴びるようになった。

 当時について、中田氏は「自分は21歳でイタリアに来た。それまで日本代表での試合以外に外国でプレーしたことはなかった」と話している。

「当時のセリエAは世界最高のリーグで、国際的に最高のタレントたちが集まっていた。もちろん、ジダンとデル・ピエロのユベントスとのデビュー戦は忘れられない。日本人観光客と報道陣でぎっしりのスタジアムを覚えている。ある種のプレッシャーを感じたことは隠さないよ」

 イタリアでプレーした初の日本人選手は、三浦知良だ。ただ、その後に続く道を切り開いたのは、中田氏の活躍があったからだろう。

「自分の数年前にイタリアで彼がプレーしている。当時の自分たちは例外だった。今と違って、欧州の主要リーグにアジア人選手はいなかった。でも正直、記録的なことを特別に重視したことはない。常に自分とチームのためにベストを尽くすことだけを考えていた」

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 日本サッカーが今ほどの地位になかった時代だけに、移籍は商売目的との揶揄もあった。だが、中田氏は「他人の評価をコントロールすることはできなかった。自分にできたのは、全力を尽くすことだけだった。ある種の噂を重視するかどうかは相手次第だ」と述べている。

「客観的に、自分が他人の意見をコントロールすることはできなかった。でも、自分の力を生かして考えを変えさせようとはできた。自分にとって大事だったのはピッチでの結果。それ以外はあまり重要じゃなかった。正直、そういったレッテルが重荷になったことはない」

 そしてイタリアでの実績は周知のとおりだ。その活躍から、あの故ディエゴ・マラドーナが「日本人がみんなナカタのようにプレーするようになったら心配しないといけない」と話したほど。ただ、中田氏は「自分がそれほどうまいと感じたことはない」という。

「シンプルに正しいタイミングで正しい場所にいただけだと思う。素晴らしいカンピオーネ(最高の選手)たちと一緒にプレーする機会があった。自分の名声はその恵まれた偶然のおかげでもある」

 才能がありながらも開花しなかった選手たちもいる。その意味では、中田氏が言うように、成功するには運も必要かもしれない。だが、中田氏が稀代のタレントで、その活躍が日本サッカー界に新たな扉を開けたことは疑いようもないだろう。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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