【移籍専門記者】チェルシーがコンテ招聘を決断した舞台裏。シメオネなど他候補との違いになったのは?

2016年04月05日 ジャンルカ・ディ・マルツィオ

打診があった時点ですぐに前向きな意思を示した。

チェルシーの新監督就任が決まったコンテ。公式サイトで「チェルシーでの仕事が楽しみだよ。まずはイタリア代表の仕事に専念して、ユーロ後からチェルシーへ頭を切り替えるよ」とコメントしている。(C)Getty Images

 4月4日、チェルシーがアントニオ・コンテ(現イタリア代表監督)と来シーズンからの3年契約を結んだと発表。EURO2016終了後にロンドンに移る予定で、年俸は500万ポンド(約8億5000万円)と見られる。
 
 チェルシーのオーナーであるロマン・アブラモビッチが次期監督候補として検討していたのは、マッシミリアーノ・アッレグリ(ユベントス)、ホルヘ・サンパオリ(チリ代表監督を退任後、現在フリー)、ディエゴ・シメオネ(アトレティコ・マドリー)、そしてコンテという4人だった。
 
 サンパオリは、ヨーロッパの状況に不案内であるという理由で早い段階で外され、アッレグリはユーベが手放してもいいという意思をまったく見せなかっただけでなく、シメオネ、コンテと比べると厳しさとデターミネーション(決然さ)に欠けるという理由で、最終候補に残らなかった。
 
 ジョン・テリーを筆頭とするリーダーが存在感を薄めて結束を失っているロッカールームを束ねていく上では、強力なリーダーシップと求心力を持つ指揮官が必要――。おそらくアブラモビッチは、そう考えたのだろう。
 
 最後に残った2人のうち、シメオネは自らの英語力に不安を持っていることもあり、いまプレミアリーグに活躍の場を移すのは正しい選択なのかと、躊躇した部分があったようだ。彼のように、自らの態度や言葉の力でチームを説得し、プレー哲学やプレー原則を伝えていくタイプの監督にとって、言葉のハンデキャップを抱えるのは決してポジティブではない。
 
 一方のコンテは、打診があった時点ですぐに合意する用意があるという前向きな意思を示した。加えて立場的にも、EURO2016終了と同時に満了するFIGC(イタリア・サッカー連盟)との契約を更新していないため、契約を交わす上での制約もないという強みがあった。
 
 英語力に関しても、すでに昨年12月から集中的なレッスンを受けており、着実に向上しつつあるようだ。2009-10シーズンから2年間に渡ってチェルシーを率いた同じイタリア人のカルロ・アンチェロッティも就任当初は片言だった事実を考えれば、本人に意思と自信があればそれでも十分に監督としての仕事はできるというわけだろう。シメオネのように、本人に不安や躊躇があればまた話は別だ。
 
 アブラモビッチが折りに触れて助言を仰ぐご意見番たち、アンドリー・シェフチェンコ(元チェルシーで元ウクライナ代表)、ヴラド・レミッチ、ファリ・ラマダーニ、ピニ・ザハビ(いずれもエージェント)といった面々が、揃ってコンテを推したのも大きかったようだ。
 
 ただ、オーナーのアドバイザー陣のひとりであり、暫定監督として現在チェルシーを率いるフース・ヒディンクだけは、コンテに反対した。性格的に神経質すぎて、いまのチェルシーのロッカールームには合わないと進言し、ウェストハムのスラベン・ビリッチ監督を推薦したものの、アブラモビッチを説得するには至らなかった。
 
文:ジャンルカ・ディ・マルツィオ
翻訳:片野道郎
 
※ワールドサッカーダイジェスト2016.04.07号より加筆・修正。
 
【著者プロフィール】
Gianluca DI MARZIO(ジャンルカ・ディ・マルツィオ)/1974年3月28日、ナポリ近郊の町に生まれる。パドバ大学在学中の94年に地元のTV局でキャリアをスタートし、2004年から『スカイ・イタリア』に所属する。元プロ監督で現コメンテーターの父ジャンニを通して得た人脈を活かして幅広いネットワークを築き、「移籍マーケットの専門記者」という独自のフィールドを開拓。この分野ではイタリアの第一人者で、2013年1月にグアルディオラのバイエルン入りをスクープしてからは、他の欧州諸国でも注目を集めている。
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