「さあオランダに戻ろうかって時に…」フィテッセで上り調子だった太田宏介はなぜJリーグ復帰? 豪州での超過酷な経験も

2024年01月10日 有園僚真(サッカーダイジェストWeb編集部)

28歳で活きの良い若手が鎬を削るオランダリーグへ

オーストラリア時代の太田。「家族との生活を優先した移籍でした」と振り返る。(C)Getty Images

 FC町田ゼルビアでJ2優勝を成し遂げ、昨季をもってユニホームを脱いだ太田宏介が、海外挑戦を振り返った。

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 36歳の元日本代表DFは、横浜FCでプロキャリアをスタートした後、清水エスパルス、FC東京で活躍。海を渡る決断を下したのは、プロ10年目だった。

 新天地は、活きの良い若手が鎬を削るオランダリーグのフィテッセ。太田はそんなステップアップの登竜門とも言える環境に、28歳にして身を置くと、すぐさま指揮官の信頼を掴み、シーズンの後半戦にレギュラーとして試合に出続けた。

 しかし、監督が代わった翌シーズンは、なかなか出番を得られず。苦難の日々が続いたが、練習で懸命にアピールを続け、11月頃から先発での出場を増やしていた。
 
 ただ、太田がその年の冬に下した決断は、FC東京復帰だった。多くの海外組は出場機会を求めてJリーグに戻るなかで、なぜ上り調子のレフティはこの道を選んだのか。

「全然深い意味はないです。向こうも向こうで充実していましたし、ポジションもちゃんと掴んでプレーしているなかで…そのポジションを掴む前に、ちょっと出られない時期が10試合ぐらいあったんですけど、その時にたくさんオファーを貰ったんです。待遇も含めて、1番フィーリングが良いクラブに行こうと。

 ちょうど12月の末か、クリスマスブレイクで1週間ぐらい(日本に)帰っている時に、色んなチームと交渉して、さあオランダに戻ろうかって時に、FC東京の強化部の方から話をいただきました。その時の咄嗟のフィーリングと判断ですかね」

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