反骨心で掴んだ優勝。帰国会見で明かした手倉森監督の目論見とリオへの新たなる戦い

2016年02月01日 サッカーダイジェストWeb編集部

「やらざるを得ないと思わせる状況がどんどん目の前に転がってきた」

帰国会見に臨んだ4名。右から岩波、手倉森監督、遠藤、大島。写真:徳原隆元

 リオ五輪の出場権とともに、アジア王者の称号を手に入れたU-23日本代表が、韓国との決勝戦翌日の1月31日22時過ぎに帰国した。笑顔で羽田空港の入国ゲートをくぐった選手たちはそのまま空港施設内で取材対応。手倉森誠監督のほか、キャプテンの遠藤航、副キャプテンの大島僚太と岩波拓也が記者会見に臨んだ。
 
 プレッシャーとの戦いだった。
 
 1996年のアトランタ五輪以来、これまで5大会連続で五輪出場の切符を勝ち取ってきた日本。自分たちの世代で途切れさせてはいけないという想いは、やはり強かった。指揮官は言う。
「まずは国民の期待に応えることができてホッとした。連続出場を途絶えさせてはいけないという想いがあった」
 
 五輪出場を決めた準決勝のイラク戦後には、多くの選手たちが涙を流したが、「出場を途切れさせることができないプレッシャーを乗り越えられたのは良かった」(大島)と、会見では安堵の表情が見られた。
 
 チーム一丸となって、そのプレッシャーを乗り越えられた理由を、手倉森監督は「悔しさからくる反骨心」と説明した。
 
 育成年代では、岩波、南野ら94・95年生まれの世代がU-17ワールドカップを経験しているが、そのひとつうえのU-20ワールドカップでは、日本はここ4大会連続で出場できておらず、現U-23日本代表の面々もアジアのベスト8で辛酸を舐め続けてきた。世界を経験していないという自信のなさが顔を覗かせるのか、それともアジアで敗れてきた悔しさが反骨心となって現われるのか。指揮官にとっては大きな問題だった。
 
「このチームの強みは、これまでの悔しさからくる反骨心。そこを奮い立たせられれば、選手の力を高められると思っていた。(中略)我々への低評価を覆すこと、そして選手たちの経歴のなかで敗れていた国にリベンジを果たすこと。やらざるを得ないと思わせる状況が目の前にどんどん転がってきた。そういう意味では成長させられた大会だった」
 
 キャプテンの遠藤は、結果に恵まれてこなかった世代の選手たちが、プレッシャーを乗り越え、徐々にひとつにまとまっていく姿に頼もしさを覚えた。
「キャプテンとしてチームをまとめることやプレーで引っ張ることを意識していた。(中略)最初はチームの雰囲気が悪いなと感じることもあった。でも、やっぱり最終予選が近づくにつれて、一人ひとりがリオへの出場権を絶対に取ってやるんだという強い想いを出して取り組んでくれた」
 
 副キャプテンのふたりも同様に、過去の悔しさを力に変えたことを告白している。
「負けてきたことが本当に悔しかった。それが練習中の厳しい声につながったりしていたと思う。その結果、まとまりが良い方向に向かって結果にもつながった」(大島)
「僕たちは、これまでベスト8で負けたり、優勝とかなにも手にしていない世代だった。その悔しさが勝ちたい、負けたくない気持ちにつながった」(岩波)
 
 

次ページ選手・スタッフ、全員にとって厳しい戦いが待っている。

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