「『ボロボロじゃねぇか』って」
96年の大怪我に悩まされ続けた小倉氏。05年に甲府で現役生活に幕を下ろした。(C)SOCCER DIGEST
かつて"レフティモンスター"の異名を取った小倉隆史氏が、前園真聖氏の公式YouTubeチャンネル『おじさんだけど、遊んでもいいですか?』に出演。現役時代の苦しかった時期を振り返った。
【動画】小倉隆史、"1996年の悲劇"を振り返る
1996年のアトランタ五輪を目ざすチームで活動していた小倉氏だが、アジア最終予選の直前合宿で右足後十字靭帯を断裂。以後、この怪我に悩まされることになる。
「右足が思うような感じに戻ってきてない。96年はずっと違和感との戦いのなかで、結局、結論から言うと、再手術になるわけで。再手術は失敗だった」
気持ちを切り替える云々より、「早く自分のパフォーマンスに戻さなきゃ」と必死だった。
二度目のメスを入れる前は「足が遅れてついてくる」感覚だったという。トレーナーに再手術を勧められるが、これを拒否。ただ、足が痛み始め、それでも我慢し続けた影響で状態は悪化した。
「オランダに行った時に、とりあえず内視鏡で見て、『なんだこの膝!』って言われて。『ボロボロじゃねぇか』って。『走らない車でずっとアクセルを踏んでいたようなもんだ』って」
【動画】小倉隆史、"1996年の悲劇"を振り返る
1996年のアトランタ五輪を目ざすチームで活動していた小倉氏だが、アジア最終予選の直前合宿で右足後十字靭帯を断裂。以後、この怪我に悩まされることになる。
「右足が思うような感じに戻ってきてない。96年はずっと違和感との戦いのなかで、結局、結論から言うと、再手術になるわけで。再手術は失敗だった」
気持ちを切り替える云々より、「早く自分のパフォーマンスに戻さなきゃ」と必死だった。
二度目のメスを入れる前は「足が遅れてついてくる」感覚だったという。トレーナーに再手術を勧められるが、これを拒否。ただ、足が痛み始め、それでも我慢し続けた影響で状態は悪化した。
「オランダに行った時に、とりあえず内視鏡で見て、『なんだこの膝!』って言われて。『ボロボロじゃねぇか』って。『走らない車でずっとアクセルを踏んでいたようなもんだ』って」
膝は完全には治り切らず、「ずっと(違和感とは)付き合いながら」のプレーだった。
「本来の打ち方じゃない。高校の時に、何千本って打って作ったシュートが、違う打ち方をしなきゃいけないから微妙なズレがある」
本来の実力を出し切れなかった小倉氏だが、名古屋ほか、市原、東京V、札幌、甲府で奮戦。そして2005年にスパイクを脱いだ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
28年ぶりの五輪出場。前園真聖が小倉隆史にかけた1本の電話「オグは自分の状況を分かっていたと思うけど」
「俺と彰二とヒデで...」前園真聖が明かす西野監督への"直談判"の真相。ハーフタイムに「攻撃的に行きましょうよって」。指揮官の返答は?
「お前とヒデの部屋の前に必ず置いてある」西野朗が暴露! 前園真聖の"つまみ食い"はバレていた!
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本来の実力を出し切れなかった小倉氏だが、名古屋ほか、市原、東京V、札幌、甲府で奮戦。そして2005年にスパイクを脱いだ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
28年ぶりの五輪出場。前園真聖が小倉隆史にかけた1本の電話「オグは自分の状況を分かっていたと思うけど」
「俺と彰二とヒデで...」前園真聖が明かす西野監督への"直談判"の真相。ハーフタイムに「攻撃的に行きましょうよって」。指揮官の返答は?
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