【ビッグクラブの回顧録】“あの時”のユナイテッドを振り返る vol.2~1990-91シーズン ~

2016年01月18日 サッカーダイジェストWeb編集部

国内での嫌な記憶を払拭させたカップウィナーズ優勝。

かつてバルセロナで不遇の時を過ごしたヒューズ。悔恨の思いを持った稀代の点取り屋はリベンジに成功した。 (C) Getty Images

 1990-91シーズンもユナイテッドは苦戦続きだった。
 
 リーグ戦はシーズンを通して1敗という圧倒的強さ披露したアーセナルの独壇場で、ユナイテッドはアウェーでの取りこぼしも響き、シーズン6位で終了する。
 
 さらにユナイテッドを落胆させたのがリーグカップ。リバプール、アーセナル、リーズを蹴散らし、怒涛の勢いで勝ち上がりながら、決勝で当時2部の新興チームだったシェフィールド・Wに0-1で競り負けてしまったのだ。
 
 ファンの誰もがユナイテッドの優勝を確信したなかで、格下相手にタイトルを奪取されたことは屈辱的な出来事であり、さらに敵将がかつての指揮官ロン・アトキンソンだったことも、ユナイテッド関係者が苦虫を噛み潰す結果に繋がった。
 
 しかしこうした悔しさを、ヨーロッパでの成功が忘れさせてくれた。
 
 このシーズンは、1985年5月29日のチャンピオンズ・カップ決勝・リバプール対ユベントス戦前に39人の観客が死亡した「ヘイゼルの悲劇」のペナルティとしてイングランド全クラブに課せられていた5年間(※当初は無期限)の国際大会参加禁止処分が解かれた初年度だった。
 
 やる気に満ちていたイングランド勢のなかでも、とくにユナイテッドは、カップウィナーズ・カップで1回戦から準決勝まで8戦無敗と破竹の勢いで勝ち進み、オランダのロッテルダムで行なわれた決勝では、バルセロナに2-1で勝利。67-68シーズン以来の欧州制覇を成し遂げたのである。
 
 この大舞台で特筆すべき活躍を見せたのは、86-87シーズンにバルセロナでプレーするも結果を残せず、わずか1年で放出されたウェールズ人ストライカーのマーク・ヒューズだ。「最悪だった」(ヒューズ)時を過ごしたクラブに対し、2ゴールを決めて勝利の立役者となった。
 
 とくに相手GKをかわして豪快にネットを揺らした2点目(決勝点)は、かつての所属クラブに己の真価を見せつけるような一撃だった。
 
 この2ゴールを含め、合計21ゴールを挙げたヒューズはこのシーズン、PFA(選手協会)が選ぶ最優秀選手賞を受賞した。
 
 なお、このシーズンは若手が台頭し、リーグカップのアーセナル戦でハットトリックを決め、PFAのヤングプレーヤー賞(23歳以下が対象)を受賞した19歳のリー・シャープと、17歳でトップデビューを果たしたギグスのティーンエイジャー二人が話題を集めた。
 
 とりわけギグスは、切れ味鋭いドリブルが特徴のプレースタイルから「ジョージ・ベストの再来」と騒がれ、チームメイトのポール・インスからも「彼は魔術師のようだ」と評されるなど、早くもその後の偉大なキャリアを予感させていた。

 
◎1990-91シーズン成績
リーグ:6位(16勝12分け10敗・58得点45失点)
FAカップ:5回戦敗退(対ノーリッジ)
リーグカップ(ランベローズカップ):準優勝(対シェフィールド・W)
 
チーム内得点ランキング(イングランド・リーグ1部):マクレア(13点)、ブルース(13点)、ヒューズ(10点)、ロビンズ(4点)、ブラックモア(4点)、ウォレス(3点)、インス(3点)、ウェブ(3点)、シャープ(2点)、ギグス(1点)、ロブソン(1点)、フィーラン(1点)
 
◎主なトランスファー
◇IN
DF アーウィン(←オールドハム)
DF シャープレス(←ユースから昇格)
MF カンチェルスキス(←シャフタール=UKR※)
MF ギグス(←ユースから昇格)
MF D・ファーガソン(←ユースから昇格)
※当時はソ連のリーグに所属
 
◇OUT
DF ダックスバリー(→ブラックバーン)
MF ランメル(→バーンズリー)
 
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