「日本人に100万ユーロさえ払いたくなかった」久保建英の復帰を拒否したバルセロナの失態をスペイン紙が酷評!「クボの夢はバルサでの成功だった」

2023年07月05日 サッカーダイジェストWeb編集部

「宝石を失わないためには戻すのが重要だった」

スペインの2大クラブに在籍した経験を持つ久保。(C)Getty Images

 スペインの『El Confidencial』紙は7月4日、2022-23シーズンに躍動したレアル・ソシエダで久保建英に関する記事を掲載。バルセロナとレアル・マドリーに在籍していたキャリアにフィーチャーしている。

 バルセロナのカンテラ(下部組織)に所属していた久保は、クラブが18歳未満の外国人選手の補強禁止のルールを破った制裁によって公式戦に出場できなくなり、15年3月に帰国を余儀なくされた。

「彼がFC東京でプレーしていた時、バルセロナは彼をスカウトする二度目のチャンスを持ち、彼は18歳になった。クボの夢はバルサで成功することであった。バルサは10歳で加入し、下部組織での最初のシーズンには日本のメッシというあだ名を獲得した。彼は30試合で74ゴールを記録し、そのテクニック、技能、ドリブル、ボールの運び、そして明瞭さに驚かされた。ワンダーボーイは変化をもたらした」
 
 そして、晴れて18歳となった19年の6月、バルサの最大のライバルであるレアル・マドリーと契約を結ぶ。同紙はこの時に宿敵に逸材を手渡してしまったのは、失態だったと指摘している。

「ラ・マシア(バルサの下部組織の総称)で3年間過ごした後、FIFAの制裁により日本に行かざるを得なくなり、バルセロナでは彼が法定年齢に達したときに連れ戻すことを提案された。技術秘書のラモン・プラネス氏は選手との連絡を絶たなかった。プレースタイルとトップチームに適合するためのすべての条件を備えた宝石を失わないためには、彼がバルサに戻ることが重要だった。

 クボはフリーとなり、ジョゼップ・マリア・バルトメウ会長は復帰を拒否した。彼は代理人に100万ユーロの手数料を払いたくなかったし、日本人に100万ユーロの給料さえも払いたくなかった。EU圏外選手の3枠はアルトゥーロ・ビダル、アルトゥール、マウコムが占めていたため、トップチームでプレーできる保証もなかった。クボはレアル・マドリーを選んだ」

 記事は「マジョルカのユニホームを着てカンプ・ノウに戻ったクボは、ファンから指笛を鳴らされ続けた。彼らは彼がレアル・マドリーと契約したことを許さなかった」と付け加えている。

 ソシエダでのブレイクを、バルサの関係者はどう見ているだろうか。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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