「本当にクレイジーだった」元名古屋のリネカーがJ開幕当時を回想!「見たことがなかった光景」とは?

2023年05月12日 サッカーダイジェストWeb編集部

「ファンの振る舞い方も本当に新鮮だった」

名古屋時代を回想したリネカー。(C)Getty Images

 5月15日で1993年のJリーグ開幕から30年が経つ。誕生直後にリーグを盛り上げたのが、世界的なビッグネームの面々だった。

 そのひとり、名古屋グランパスでプレーした元イングランド代表のガリー・リネカーが、英公共放送『BBC』で当時を振り返っている。J誕生から30年、リネカーは日本サッカーの成長を感じつつ、日本に今でも親しみを覚えていると話した。

 ワールドクラスの大物が注目を集めた当初のJリーグについて、リネカーは「どのチームも少しのブラジル人を除き、外国人選手は多くなかった」と述べている。

「アメリカとカナダが1970年代に最初にプロリーグを立ち上げようとしたとき、外国人のスター選手たちに圧倒され、数年しかもたなかったことから日本が学んでいたからだ。代わりに一部のビッグネームだけを選び、私やジーコ、ピエール・リトバルスキーと契約し、宣伝した。非常に分別があったね。すべてを綿密に計画するのは日本の特徴だが、Jリーグ関連のすべても同じだった」
 
 日本におけるサッカー人気の向上を目指した取り組みについては、「マーケティングやファンとの交流のモデルは、野球やアメフトのようなアメリカのスポーツを土台にし、大々的にやっていた。サッカーを人気にするには、できるだけエンタテインメント性が必要と分かっていたからだ」と話した。

「だから、楽しむことが重視された。フェイスペイントや巨大なフラッグ、花火、試合前の大音量の音楽、多くのグッズやチームマスコットなどだ。すべてが派手でカラフル、見たことがなかった。ファンの振る舞い方も本当に新鮮だったよ。みんないつもすごく興奮していたが、誰もが敬意を払ってポジティブだった。イングランドならどこであっても選手が浴びるような罵声もまったくなかった」

 当時を知る人なら、その熱狂ぶりを覚えているだろう。リネカーも「観客は主に若い人で、女性のファンが多く、それは見ていて素晴らしかった。叫び声がすごかった」と振り返っている。

「試合だけじゃない。どこに行っても我々は囲まれた。本当にクレイジーだったよ。現役時代はできる限りサインをしていたが、日本では本当に要望がすごかった。その点でも彼らは準備万端だったね。ファンがいつもサインしてもらうための色紙やペンを持っていたのを覚えている」

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