連載|熊崎敬【蹴球日本を考える】“奇妙なゴール”が象徴するレベルの低いチャンピオンシップ

2015年12月03日 熊崎敬

ミスをしても敵がまたミスをするから致命傷にならない。

準決勝の浦和戦に続き、広島との決勝第1戦でも相手DFのミスを突いて先制点を奪ったG大阪だが、やはり同様にミスから決勝点を献上している。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

 ロスタイムも大詰めの96分、今野のスローインから広島の攻撃が始まった時、私の思考は停止した。
 
「え? どうして?」
 
 混乱した頭の中を整理しているうちに、柏の決勝点が決まる。
 こうしてチャンピオンシップ第1戦は、3-2で広島に凱歌が上がった。
 
 もっとも振り返れば、ミスから生まれたゴールはこれだけではない。長澤が決めたG大阪の先制点も、広島守備陣の考えられない「お見合い」の産物だった。さらに付け加えれば、浦和とG大阪が争った準決勝でも摩訶不思議なゴールが生まれている。
 
 シーズンの総決算ともいうべきチャンピオンシップ、私は緊迫したハイレベルな攻防を楽しみにしていたが、期待は完全に裏切られた。こんな試合で日本一が決まるのかと思うと、情けない。
 
 だが、これが日本サッカーの現実だろう。
 
 Jリーグのトップレベルでも、日本一を争う緊迫感の中で質の高いプレーをすることができないのだ。とかく場当たり的なプレーが多く、落ち着いて試合を運ぶことができない。ミスをしても敵がまたミスをするから致命傷にならず、ミスが教訓にならないのだ。
 
 これは日本人の趣向と関係があるかもしれない。
 私たち日本人は攻撃的で運動量が多く、流動的なプレーをすることがいいサッカーだと捉えている。だが、こうした試合の進め方は日本独特といってもいい。
 
 私はイタリアの友人と何度かJリーグを観戦したが、友人は試合中、しきりに「ポジションが分からない」と首をひねっていた。それはだれがどこで何をするのかが、明確ではないということ。定石が見えないというのだ。
 
 誰がどこにいるのか、そのポジションが曖昧だというだけではなく、状況に合わせたプレーもできていないという。
 例えば行かなくてもいいところで無理にボールを奪いに行き、敵の攻撃に拍車をかけてしまう。無理に守りの堅いところに攻め込み、逆襲を食らう……。ひと言でいえば状況判断ができていない。
 
 だが、これは選手だけの責任とは言い難い。
 
 ワールドカップ常連の国に行くと、誰かがポジショニングや動きを間違えると、観客席にざわめきが起きる。「あいつ、なにやってんだ?」ということだ。
 こういうざわめきは、日本ではほとんど聞いたことがない。
 
 かつて私は、モンテネグロの友人とFC東京とC大阪の試合を見たことがある。その試合でC大阪がカウンターを繰り出した時、友人が突然立ち上がって私に言った。
 
「あいつ、なに歩いてるの?」
 
 その選手が走っていればゴールの確率は上がったというのに、呑気に歩いていたのだ。だが、その場面で立ち上がったのは友人だけで、他の観客はいつものように応援していた。私も柿の種を食べていたのだから、偉そうなことは言えない。
 
 お客さんや記者がちゃんとした目を持たなければ、この国のサッカーはいつまで経っても次元の低い「面白いゲーム」を続けることになるだろう。
 
 3日後、エディオンスタジアムで日本一が決まる。この試合だけは、奇妙なゴールが決まらないでほしいものだ。
 
取材・文:熊崎 敬(スポーツライター)
 
 
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