「やり切らないとスタイルは作れない」西野朗はいかにしてガンバに“超攻撃サッカー”を植え付けたのか。鈴木啓太に「勝つために重要な要素」を問われると…

2022年10月01日 サッカーダイジェストWeb編集部

クラブW杯ではマンU相手に3得点

鈴木氏のYoutubeチャンネルに西野氏が出演。10年にも及んだG大阪での監督生活を振り返った。写真:山崎昌治

 前日本代表監督の西野朗氏が、9月30日に公開された元日本代表MF鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルにゲスト出演。柏レイソルやガンバ大阪での監督生活を振り返った。

 ブラジルを破る"マイアミの奇跡"を起こした1996年のアトランタ五輪でU-23日本代表を率いた西野氏は、翌97年に柏レイソルのヘッドコーチに就くと、98年には監督に就任した。鈴木氏に代表とクラブの監督の違いを問われると、こう答えている。

「毎日選手と接することができる。これは指導の根本だと思う。代表はスポットで集めて成果を出さないといけない。成長・育成よりも強化が求められる」

 その上で、「自分はクラブ監督向き」と自己分析する西野氏は、99年に柏をナビスコカップ(現ルヴァンカップ)初優勝に導き、2000年には年間勝点1位(当時は前後期制で、1stステージ4位、2ndステージ2位で総合3位)など結果を残していたが、01年夏に解任されてしまう。

 失意の中でJリーグを見ていると、「若い選手がたくさんいて面白いな」と思っていたガンバ大阪から監督就任のオファーが来て快諾。そのG大阪では10年にもわたる"長期政権"を築き、リーグ戦では05年の初優勝などトップ3に8度、07年のナビスコカップ優勝と07年からの天皇杯連覇に加え、08年にはアジア・チャンピオンズリーグも制覇した。
 
 数々の栄光を経験した西野氏は、鈴木氏からクラブが"常勝軍団"になった要因を問われると、「1つタイトル取るとガラッと変わる。魅力的なクラブにしなきゃとスタッフの意識が変わる。そういうのが大きい」と回答。人が変わっても「超攻撃サッカー」をブレなずに貫き通したという。

 DF陣からリードしている状況で守備重視での"逃げ切り"を提案されても、「それじゃガンバのスタイルは作れない」「常に攻撃の意識を捨てるな」「やり切らないとスタイルは作れない」と意識づけを行なった。

 08年のクラブワールドカップでは3位に入った。準決勝で敗れたが、優勝したマンチェスター・ユナイテッドを相手にも3-5と攻撃的サッカーを貫いた。「自分たちの持っているものを全部出し切る。そのアクションとか、アグレッシブとか、前向きなメッセージしか言わなかった」「ものすごく強烈に鼓舞した」「違うことをやったらガンバじゃない。確立したスタイルがあった。魅せよう、魅せたいと」と振り返った。

 その後もヴィッセル神戸や名古屋グランパスで指揮をとり、J1通算勝利数で最多の270勝を挙げた。鈴木氏からチームを勝たせるために大事な要素を問われると、「勝負は、紙一重。リスクを取るか取らないかだと思う。いろんな要素が入ってきて、試合を動かすための起用・戦術・戦略を含めて。プロってそういう連続だから。それに対して果敢に経験値とかをいかしながらリスクをとる。動けるかどうか」と信念を語った。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

【動画】「やり切らないとスタイルは作れない」西野朗が鈴木啓太にガンバ"超攻撃サッカー"確立やJ1最多勝の秘訣を語る

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