「コンテは約束を破った」今夏にトルコへ渡ったベルギー代表FWが6年前のチェルシー入団時の不満を吐露

2022年09月23日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

チェルシー加入後はキャリアも下降線に

コンテへの怒りを露わにしたバチュアイ。(C)Getty Images

 今夏チェルシーからフェネルバフチェに移籍したベルギー代表FWのミチ・バチュアイは、いまでも6年前に師事した指揮官の対応に怒りを抱いているという。

 バチュアイは母国のスタンダール・リエージュで頭角を現わすと、その後マルセイユを経由し、2016年7月にチェルシーへ移籍し、順風満帆なキャリアを歩んでいた。当時22歳の新鋭に、3300万ポンド(当時のレートで約48億5000万円)もの大金を叩いたことからも、チェルシーが大きな期待を抱いていることは明らかだった。

 そして、誰よりもバチュアイの獲得を喜んだのが、16年夏にチェルシーの新指揮官に就任したアントニオ・コンテだったという。しかし、実際にシーズンが始まるとコンテは、3-4-2-1や4-3-3のシステムを採用し、最前線にはスペイン代表FWのジエゴ・コスタを重用。就任1年目にしてプレミア優勝に導いた。

 イタリアの闘将は、翌シーズンも新加入のスペイン代表FWアルバロ・モラタをレギュラーとして起用。構想外扱いとなったバチュアイは、18年1月にドルトムントにレンタルで出されるという屈辱を味わった。

 その後コンテは18年夏に解任されることになるが、コンテの下でプレーした約1年半でバチュアイに与えられた先発出場の機会はわずか4試合のみだった。
 
 そんなバチュアイが、ベルギーメディア『SPORT』のインタビューで自身のキャリアを振り返り、当時の心境を吐露した。

「コンテは本当に矛盾だらけだった。入団前に電話でプロジェクトを説明してくれた時には、僕とジエゴ・コスタの2トップが基本になると言っていたんだ。ただ、シーズンを通して2トップが採用されることはなかったんだ」

 たしかに、コンテはセリエA3連覇に導いたユベントス時代(11~14年)やイタリア代表時代(14~16年)にも3-5-2で戦い続けていただけに、バチュアイの気持ちも分からなくはない。

「それを信じたかって? もちろんだよ。コンテはずっと2トップを採用していたからね。私には理解できない。彼は約束を破ったんだ」。

 その2年間で一気に評価を下げたバチュアイは、コンテがチェルシーを去ったあともバレンシア(18~19年)、クリスタル・パレス(19年、20~21年)、ベシクタシュ(21~22年)にレンタルで出され、ついに今年9月にはチェルシーから完全移籍でトルコへと渡った。

 まだ28歳ということもあり、今後もバチュアイに再起のチャンスはあるはずだ。結果を残したコンテの対応に問題があったかどうかは何とも言えないが、バチュアイにとってなんとももったいない6年間を過ごしたことだけはたしかだ。

構成●ワールドサッカーダイジェスト編集部

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