【三浦泰年の情熱地泰】サッカー人生に大きな影響を与えてくれた叔父さんとオシムさん。天国でサッカーの話をしてくれていたら…

2022年05月02日 三浦泰年

叔父さんの四十九日の法要が静岡のお寺で行なわれた

三浦監督のサッカー人生に大きな影響を与えたふたりの恩人。納谷義郎氏(左)とイビチャ・オシム氏(右)。写真:サッカーダイジェスト

 叔父さんの四十九日の法要が、静岡の父方である納谷のお墓のあるお寺で行なわれた。

 僕たち兄弟は、三重県代表を決める天皇杯準決勝の後に静岡へ入り、翌日の式に顔を出した。

 四十九日の法要を経験したのは初めてだった。納谷義郎叔父さんは天国で新しい居場所を見つけて僕らを見守ってくれているであろう。

 叔父さんの兄弟は叔父さんを入れて4人。叔父さんは1番下の弟になる。僕の父が次男であり、3人も元気に参列し1番下の弟を供養した。

 御斎を叔父さんの行きつけのお寿司屋さんで行った。叔父さんも参加していたのであろう。叔父さんの家族もこのような席を用意してくれて家族が1つにまとまる時間になった。

 カズがいて、父がいて、母がいて、妹がいる。もちろん寂しいが叔父さんの遺影を置き、皆が元気な姿を見せてテーブルを囲んでいた。叔父さんも一緒に楽しかったであろう。
 
 叔父さんに感謝だ。

 その数日後の5月1日、カズはJFL第7節のリーグ戦で79分間にわたりピッチに立ち、僕はベンチで指揮を執った。

 試合は0-2でリードされたが3-2で逆転勝ち。叔父さんが天国から檄を飛ばしてくれたかのように選手がまとまり、勝点3を積み重ねる事が出来た。

 御斎の会食で静岡の寿司。桜海老のかき揚げ。焼いたお餅。叔父さんが好きだった普段は出てこない蕎麦。カズも僕もアルコールは控えたが、静岡の名産を堪能した。

 そしてカズは静岡産の栄養素がプラスになったかのように、1日のパフォーマンスは非常に高かった。

 そんな日々を振り返りながらコラムを書いていると悲報が……。憧れの人、もう一度お会いしたかった恩師であり、元日本代表監督で、ジェフ市原(05年にジェフユナイテッド市原・千葉に改称)を躍進させ、05・06年のナビスコカップで優勝に導いたイビチャ・オシムさんの永眠を知った。

 きっと指導者、監督を目指す人への影響力は誰よりも強く、多くの選手を成長させてサッカーの本質を伝えて来たオシムさん。

 僕はS級ライセンス受講で初めて出会うことができ、その後はヴィッセル神戸を引退する03年にオシム監督が率いるジェフ市原と対戦。翌年ヴィッセル神戸の強化GMとしてプレスカンファレンスで、日本代表監督時代は練習視察、取材などで言葉を交わさせてもらった。

 もう一度、是非とも会いたかった人物のひとりでもあった。
 

次ページ一度、一緒に仕事をしたかった。オシムさんと仕事をした人が羨ましくてたまらない…

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