【橋本英郎】オシムさんの練習で初めて感じた「質と雰囲気」。サッカーの厳しさと基準を与えてくれた

2022年05月02日 橋本英郎

「イングランドの選手のように正しくプレーをしていた」と言ってもらえた

橋本(右)のユーティリティ性を高く評価していたオシム監督(左)。「日本代表の扉を開いてくれた」と感謝する。(C)SOCCER DIGEST

 オシムさん。

 このような喪失感はサッカーに関わるところで感じるとは思ってもみなかった。僕に日本代表の扉を開いてくれた監督。サッカーの厳しさを、基準を与えてくれた存在。

 アジアカップでは僕自身の未熟さを指摘してくれました。とある試合の途中、ベンチ横で「求めるプレーをできるか?」と問いかけられました。僕の反応を見て、結果的に交代出場はさせてもらえませんでした。その時の表情や雰囲気で、今使える状態じゃないと判断されたんだと思います。

 一年弱の代表での関わりで、そこまで試合に使ってもらったわけでもなかった。めちゃくちゃメンタル的にしんどくて、代表期間中の緊張感が半端なくて、これが代表の重さかぁ……と感じさせてくれました。でもそこには今まで感じたことのない、練習の質と雰囲気がありました。

 90分の練習時間の長さを一番感じた監督かもしれません。一つひとつの練習が短い時間にも関わらず、長く感じたのはさまざまなストレスを感じていたからでしょう。
 

 2008年のクラブワールドカップの後に、とある雑誌でオシムさんが取材に応えていて、僕の名前を挙げてくれていたんです。そこで「イングランドの選手のように正しくプレーをしていた」と言ってくれて、「おー! コメントしてくれてる!」って喜んだあと、「イングランドの選手のプレーって何!?」って。まだまだ僕は未熟で、ちゃんとした意味を良く理解できずにいましたが、それでもコメントしてくれていることがめちゃくちゃ嬉しかったです。

 その時感じた高揚感から、「オシムさんにプロサッカー選手として認められたい、褒めてもらいたい! 引退したら絶対に会いに行く!」と思っていましたが……もう、会えなくなってしまいました。

 今後のサッカーに関わる人生の中で、きっと忘れることのない良い思い出として大切にしながら、前に進んでいきたいと思います。

 心からご冥福をお祈りいたします。

<了>

橋本英郎

PROFILE
はしもと・ひでお/1979年5月21日生まれ、大阪府大阪市出身。ガンバ大阪の下部組織で才能を育まれ、1998年にトップ昇格。練習生からプロ契約を勝ち取り、やがて不動のボランチとして君臨、J1初制覇やアジア制覇など西野朗体制下の黄金期を支えた。府内屈指の進学校・天王寺高校から大阪市立大学に一般入試で合格し、卒業した秀才。G大阪を2011年に退団したのちは、ヴィッセル神戸、セレッソ大阪、AC長野パルセイロ、東京ヴェルディでプレー。2019年からJFLのFC今治に籍を置き、入団1年目で見事チームをJ3昇格に導く立役者のひとりとなった。2021年5月2日の第7節のテゲバジャーロ宮崎戦で、J3最年長得点(41歳と11か月11日)を記録。今季は関西1部リーグ「おこしやす京都AC」に籍を置く。日本代表はイビチャ・オシム政権下で重宝され、国際Aマッチ・15試合に出場。現役フットボーラーとして奮闘する傍ら、サッカースクールの主宰やヨガチャリティー開催など幅広く活動中だ。173センチ・68キロ。血液型O型。
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