手詰まりになったシメオネからついに“自由”を与えられたJ・フェリックス。それでも2人の「価値観」は違いすぎる

2022年04月05日 小宮良之

日本では入団したチームを出ることに対し、マイナス面が強く出る

ついに覚醒しつつあるJ・フェリックスだが…。(C)Getty Images

 プロサッカー選手はチームに、試合に、監督のやり方に適応し、上書きする能力が求められる。

「自分」

 そればかりが強い選手は、集団スポーツにおいては生き残ることができない。
 
 一方で、一人の選手としてどこでプレーするか、それは選択すべきことかもしれない。自分の力を最大限に生かせるか。そこを模索しないと、才能を浪費し、泣きを見ることになるだろう。

 例えば、テクニックとビジョンに優れ、ボールプレーで力を発揮するMFが、自分の頭上をボールが行きかうようなチームにいた場合、苦しむことは自明の理である。「役に立たない」。ネガティブな気持ちに苛まれることになって、セカンドボールで身体を張ることだけに専念しても、その点では、明らかに自分より上位の選手たちがいることに、出口のなさを感じることになるはずだ。
 
 まだまだ日本には封建的な「終身雇用」の考え方が拭えず、入団したチームを出ることに対し、マイナス面が強く出る。地に足をつけて、となるわけだが、既成概念に囚われるべきではない。「隣の芝は青く見える」という移り気は問題だが、自分に合う環境を探すのも仕事だ。
 
 アトレティコ・マドリーのポルトガル代表FWジョアン・フェリックスも、その点で袋小路にいる。2019年夏に、ベンフィカからアトレティコに1億2600万ユーロ(約157億円)で移籍してきたわけだが、まだまだ期待されたプレーは見せられていない。ディエゴ・シメオネ監督が求める「献身的ファイト」を満たそうとするが、持ち味であるファンタジスタとしての技量が制限されてしまうのだ。

「ジョアンはフットボーラーとしての素晴らしい才能に恵まれている。しかし、成熟が必要で、コンスタントに力を発揮するようになって欲しい。チームに対する犠牲精神というのか、持っている価値を継続的に見せるべきだ」

 シメオネは言うが、価値観が違い過ぎる。
 
 そもそも、シメオネのチームでは「ボールをもって主導権を握る」ことは重要視されない。アグレッシブに粘り強く守り、鋭いカウンターを仕掛け、セットプレーで仕留めるのを重んじる。テクニックにプレーの性格が出る選手は十分な力を出し切れないのだ。

 もっとも、シーズンが佳境に入ってきたところで、攻撃があまりに手詰まりになり、シメオネはJ・フェリックスに一定の自由を与えている。それによって、ポルトガル代表FWは閃きのあるプレーで、勝利に貢献。チームはラ・リーガで調子を上げ、欧州チャンピオンズリーグもベスト8まで勝ち上がった。

 しかし、シメオネとJ・フェリックスの価値観は同じではない。
 
 もしジョアン・フェリックスがバルサやマンチェスター・シティに移籍していたら――。そのたら・れば、に意味はないが、まったく違った状況になっていただろう。自分の長所で勝負していたはずだ。

文●小宮良之

【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たし、2020年12月には新作『氷上のフェニックス』が上梓された。

【動画】ドリブル突破→アウトサイドクロス→自らこの日2点目奪取!J・フェリックスが最新試合で躍動

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