「生き抜くのが本当に怖かった」シャフタールのブラジル人DFがウクライナ脱出時の壮絶体験を告白「最大の恐怖は…」

2022年03月08日 サッカーダイジェストWeb編集部

「物資がなくなるという恐怖が選手たちの間で高まっていた」

ウクライナ脱出時の恐怖について語ったビトン。(C)Getty Images

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、サッカー界にも深刻な影響を与えている。

 ウクライナの強豪シャフタール・ドネツクに所属するブラジル人DFビトンは、英紙『EXPRESS』のインタビューで、ロシア軍が迫るなか、ウクライナを脱出した時の壮絶な状況について語っている。

 現在は無事に故郷のサンパウロに辿り着いたというビトンは、「たくさんの、たくさんの不確実なことがあった。僕たちがウクライナを去ることができるか、それがいつできるか想像もできなかった。とても困難な日々だった」と切り出し、この数日間を振り返っている。

 ロシアの攻撃が開始されると、ビトンはシャフタールの他の南米の選手たちやディナモ・キエフのヴィチーニョとともに、首都キエフのホテルに避難。妻と生後3か月の息子と一緒で、脱出がいつになるかわからなかったため、「物資がなくなるという恐怖が選手たちの間で高まっていた」と明かしている。

「怖かったのは、息子が空腹になったり、喉が渇いたり、寒がったりすることだった。そこにいた他の親たちも、それが最大の恐怖だったと思う」
 
 22歳のDFによれば、無事に脱出できたのは、UEFA(欧州サッカー連盟)、ウクライナ・サッカー連盟、そして彼の代理人であるユリシーズ・ホルヘのおかげだったという。

「UEFAとウクライナ・サッカー連盟は、ウクライナを離れるプロセスの鍵だった。両方の組織に感謝している。彼らがいなければ、間違いなくそこから抜け出すことはできなかっただろう。22歳でこうした事態を生き抜くのは本当に怖かった。簡単ではなかった」

 ビトンは、ウクライナの人々がどれほどに酷い状況にあるのか、完全には伝わっていないと考えているという。

「実際、ウクライナの事態は、非常にひっ迫している。本当に助けを必要としている。戦争と食糧、水、電気などの資源不足を乗り越えようとするだけで、誰もが忙殺されているんだ」

 最後に、ビトンは今後について、「ウクライナでのとてつもない恐怖の時間から戻ってきたので、今は考えにくい。シャフタールとの将来はまだわからない。話し合い、最善の解決をするまで、少し待つ必要がある」と語っている。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

【画像】シャフタール公式が公開したウクライナの惨状

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