【私が見た玉田圭司】脳裏に焼き付く昇格プレーオフでの姿。J2を戦ったセレッソの“希望の光”に

2021年11月26日 小田尚史

ピッチに座り込む背番号20の姿が

2015年にC大阪に加わった玉田。1年目はプレーオフ決勝でJ1復帰をあと一歩のところで逃し、ピッチに座り込む場面も。(C)J.LEAGUE PHOTOS

 11月11日、11時11分に2021年シーズン限りでの現役引退を発表した玉田圭司。その輝かしいキャリアを様々な記者に振り返ってもらう。2015、16年にプレーしたC大阪でもその影響力は大きかった。

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 J2に降格し、涙に暮れた2014年。打ちひしがれた気持ちを救ってくれたのは、年明け早々に発表された、玉田圭司の加入だった。百戦錬磨の元日本代表。厳しいJ2を戦っていく勇気が湧いてきた。

 2015年のJ2・第2節の大宮戦では、いきなり鮮やかな直接FKを含む2得点。"挨拶代わり"と呼ぶには強烈過ぎる、ホームデビューを飾った。その後もフォルラン選手とカカウ選手がシーズン途中で抜けた攻撃陣を引っ張り、夏場には得点を量産。田代有三選手との"イケメン2トップ"は実に絵になり、一時は中位まで下げた順位を自動昇格が狙える位置まで押し上げた。終盤は、リーグ戦ラスト1試合を前に監督交代(パウロ・アウトゥオリ監督から大熊清監督へ交代)が行なわれたチーム状態の中、リーグ4位でフィニッシュ。J1昇格プレーオフに臨むことになった。これまで数々の修羅場をくぐり抜けてきた玉田選手にとっても、初の舞台。

「ここを乗り越えれば、セレッソもまた一つ大きくなれる。(J1昇格プレーオフに出ることは)セレッソのためにも良かったと思うし、俺自身もプラスに考えたい。こういう状況の中で、『玉田、すごいな』と思ってもらえるようなプレーをしたい。最後は自分で決めたい」
 
 愛媛との準決勝をスコアレスドローで"勝ち抜き"(引き分けであればリーグ順位が高いチームの勝ち抜けとなる)、迎えた福岡との決勝戦。後半15分、関口訓充選手とのワンツーで抜け出し、左足のつま先でゴールに押し込んだ瞬間、ヤンマースタジアム長居は地鳴りのような大歓声に包まれた。「最後は自分で決めたい」と話していた背番号20、魂の有言実行弾。ただし、昇格の瞬間が刻一刻と近づく中、後半43分にまさかの被弾。J1最後の切符は、リーグ戦で3位だった福岡の手に渡った。試合後、ピッチに座り込む背番号20の姿が脳裏に焼き付いているファン・サポーターも多いだろう。

「力不足だったということ。(自身の得点も)勝っていないので、意味のないゴールになった。(J1昇格を逃したことについて)今は何も考えられない」。沈痛な面持ちで言葉を残し、スタジアムを後にした姿は今でも忘れられない。
 

次ページ前を向くきっかけを取り戻す時には、いつも玉田圭司がいた

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