1990年、母国開催のイタリアとW杯準決勝で激突
1990年7月3日、ナポリのスタディオ・サン・パオロ――。私はこの日、『L’EQUIPE』紙の仕事で、ワールドカップ準決勝イタリア対アルゼンチン戦を取材するチャンスに恵まれた。
そしてこの日は、86年メキシコW杯準々決勝のイングランド戦に匹敵するほど特別な日となって、ディエゴ・マラドーナのキャリアに刻まれることになった。
イタリア対アルゼンチンがキックオフする数時間前、私はリーバ・フィオリータをそぞろ歩きながらナポリのティフォージの声をとっていたのだが、彼らはジレンマに駆られてこう言うのだった。
「ムッシュー、俺たちの気持ちわかってくださいよ。世界的スターは誰一人、ナポリになんか来ようともしなかったんです。それなのにディエゴは来てくれたんだ。そして俺たちに2つのスクデットとUEFAカップをもたらしてくれた。こればっかりは絶対忘れられないですよ。たとえスクアドラ・アッズーリ(イタリア代表)に逆らってでもね」
3週間前からというもの、マラドーナは、どの会場へ行ってもブーイングを浴びていた。ミラノでも、トリノでも、フィレンツェでも――。そう、ちょうどイタリア代表が、トト・スキラッチの活躍で神の恩寵でも受けたかのように輝き、国中に熱狂の渦を巻き起こしていた最中である。
「だが、ナポリはイタリアじゃないんだ」
マラドーナは試合の前日、こう宣言していた。そして、彼の言うとおりだった。
キックオフ前、50人ほどのアルゼンチン応援団がいとも簡単に、スタンドから大声援を轟かせているのを見て、私はすっかり面食らったのである。
そしてこの日は、86年メキシコW杯準々決勝のイングランド戦に匹敵するほど特別な日となって、ディエゴ・マラドーナのキャリアに刻まれることになった。
イタリア対アルゼンチンがキックオフする数時間前、私はリーバ・フィオリータをそぞろ歩きながらナポリのティフォージの声をとっていたのだが、彼らはジレンマに駆られてこう言うのだった。
「ムッシュー、俺たちの気持ちわかってくださいよ。世界的スターは誰一人、ナポリになんか来ようともしなかったんです。それなのにディエゴは来てくれたんだ。そして俺たちに2つのスクデットとUEFAカップをもたらしてくれた。こればっかりは絶対忘れられないですよ。たとえスクアドラ・アッズーリ(イタリア代表)に逆らってでもね」
3週間前からというもの、マラドーナは、どの会場へ行ってもブーイングを浴びていた。ミラノでも、トリノでも、フィレンツェでも――。そう、ちょうどイタリア代表が、トト・スキラッチの活躍で神の恩寵でも受けたかのように輝き、国中に熱狂の渦を巻き起こしていた最中である。
「だが、ナポリはイタリアじゃないんだ」
マラドーナは試合の前日、こう宣言していた。そして、彼の言うとおりだった。
キックオフ前、50人ほどのアルゼンチン応援団がいとも簡単に、スタンドから大声援を轟かせているのを見て、私はすっかり面食らったのである。
たしかにアッズーリがヴェスビオ火山の麓でプレーする習慣はほとんどなかった。だが、それにしてもクレイジーで、火山のごとく沸騰し、それでいて温かい人情に満ちたこの町が、大一番となった敵国との対戦で、これほどまでに冷静な均衡能力を誇示するとは、私もさすがに予想できなかった。
そしてこのイタリア大会で初めて、アルゼンチン国歌はブーイングを浴びなかった。それどころかマラドーナがピッチに入場したそのときにこそ、チャントとコーラスが怒涛のように巻き起こったのである。
「ディエゴ! ディエゴ!」
観衆の一部がこう叫んで、その後に「イタリア! イタリア!」の声援が続いた。
ナポリは、祖国イタリアへの愛を示しつつも、ほんの数週間前にふたつめのリーグタイトルをもたらしてくれた自分たちのアイドルに、あくまでも忠実だった。ナポリのサポーターはスタジアム前で、私にこう胸の内を明かしていたものだ。
「俺はディエゴが3ゴール決めるのを夢見てるよ。……で、イタリアが4ゴール」
試合が進むにつれ、観衆は自国代表を応援するようになり、PK戦の最終キッカーとなったアルド・セレーナのシュートをセルヒオ・ゴイコチェアがストップすると、ティフォージの表情もさすがに失望に襲われた。
だがその失望もさほど深刻そうではなかった。マラドーナがファイナルに進出したからである。
そしてイタリアが総意としてマラドーナをこれからもよりいっそう嫌っていくと思われるのに対し、ナポリ市民はと言えば、今後も決して忘れないのだ。彼のお蔭でナポリが、誇りを取り戻した、という事実を――。
取材・文●レミー・ラコンブ (『France Football 』編集長)
翻訳&コーディネート●Marie YUUKI
そしてこのイタリア大会で初めて、アルゼンチン国歌はブーイングを浴びなかった。それどころかマラドーナがピッチに入場したそのときにこそ、チャントとコーラスが怒涛のように巻き起こったのである。
「ディエゴ! ディエゴ!」
観衆の一部がこう叫んで、その後に「イタリア! イタリア!」の声援が続いた。
ナポリは、祖国イタリアへの愛を示しつつも、ほんの数週間前にふたつめのリーグタイトルをもたらしてくれた自分たちのアイドルに、あくまでも忠実だった。ナポリのサポーターはスタジアム前で、私にこう胸の内を明かしていたものだ。
「俺はディエゴが3ゴール決めるのを夢見てるよ。……で、イタリアが4ゴール」
試合が進むにつれ、観衆は自国代表を応援するようになり、PK戦の最終キッカーとなったアルド・セレーナのシュートをセルヒオ・ゴイコチェアがストップすると、ティフォージの表情もさすがに失望に襲われた。
だがその失望もさほど深刻そうではなかった。マラドーナがファイナルに進出したからである。
そしてイタリアが総意としてマラドーナをこれからもよりいっそう嫌っていくと思われるのに対し、ナポリ市民はと言えば、今後も決して忘れないのだ。彼のお蔭でナポリが、誇りを取り戻した、という事実を――。
取材・文●レミー・ラコンブ (『France Football 』編集長)
翻訳&コーディネート●Marie YUUKI