リバプールはカントナ獲得を断っていた!?
90年代のプレミアリーグで、圧倒的な存在感を放ち、カルトな人気を誇った元フランス代表FWエリック・カントナ。彼は92年にマンチェスター・ユナイテッドに移籍して以来、“レッドデビルズ(ユナイテッドの愛称)の王”として多くのファンに愛された。
そんなユナイテッドのクラブ史に残るカリスマアタッカーだが、“宿敵”であるリバプールでプレーしていた可能性があったという。その驚きの移籍事情を明かしたのは、1991年4月から約3年間に渡ってリバプールを率いていたグレアム・スーネスだ。
スーネスは、当時26歳だったカントナについて、ミッシェル・プラティニから獲得の打診を受けていたという。英衛星放送『Sky Sports』で、こう語った。
「UEFAカップでオーセールに3-0で勝った後だった。控室のセキュリティーだったリトルウッドが、私のいた部屋のドアをノックして言ったんだ。『外にご友人がお待ちです』ってね。誰だと思ったらプラティニだったんだ。実際、彼と話したのは少なかったんだけどね。
彼は部屋に入ってくるやいなや、『私は君のための選手を知ってる。少し問題はあるが、真の才能を持っていて、君のチームにピッタリだ』とカントナを売り込んできたんだ」
そんなユナイテッドのクラブ史に残るカリスマアタッカーだが、“宿敵”であるリバプールでプレーしていた可能性があったという。その驚きの移籍事情を明かしたのは、1991年4月から約3年間に渡ってリバプールを率いていたグレアム・スーネスだ。
スーネスは、当時26歳だったカントナについて、ミッシェル・プラティニから獲得の打診を受けていたという。英衛星放送『Sky Sports』で、こう語った。
「UEFAカップでオーセールに3-0で勝った後だった。控室のセキュリティーだったリトルウッドが、私のいた部屋のドアをノックして言ったんだ。『外にご友人がお待ちです』ってね。誰だと思ったらプラティニだったんだ。実際、彼と話したのは少なかったんだけどね。
彼は部屋に入ってくるやいなや、『私は君のための選手を知ってる。少し問題はあるが、真の才能を持っていて、君のチームにピッタリだ』とカントナを売り込んできたんだ」
当時のカントナは、“かなりの問題児”というレッテルを張られていた。というのも、リーグ・アンの試合中にジャッジに納得できず、ボールをレフェリーに投げつけるという騒動を起こし、それをきっかけにフランス・サッカー協会と衝突。さらに聴聞会で役員を「バカ野郎」と罵ったことから長期出場停止処分を受けたため、現役引退を決めていたのだ。
そんな天才を再起させようとしていたプラティニからの売り込みだった。しかし、スーネスは、「私は今も火災現場のようなロッカールームと戦っていて、これ以上は和を乱したくない」と考え、フランスのレジェンドからの申し入れを断ったという。
「彼は残念ながらリーズへ行ってしまった。彼を逃したことを惜しむか? それはそうだね。だって、彼はリーグのレジェンドになってしまったんだからね。あんなにも若い選手の模範になれるとは思わなかった」
92年2月にトライアルの末にリーズ・ユナイテッドに加入したカントナは、91-92シーズン制覇に貢献。92年11月にマンチェスター・Uへ移籍してからは、97年の夏に突然の引退をするまで、先述のようなカリスマ的な活躍ぶりを見せつけたのであった。もしも、彼がリバプールにいたらどのような活躍をしていただろうか。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部