文字通りのキーマンだったオルテガを…
遡ること22年前の夏、日本サッカー界を大いに興奮させたフランス・ワールドカップ。初めて世界の檜舞台に上がった岡田ジャパンが生んだ“ある記録”が脚光を浴びている。
現地時間5月11日、様々なスポーツデータを取り扱う英国の『Opta』は、自社ツイッターで、1998年のフランスW杯に関連した興味深いデータを発信。そのなかで日本の初陣となったアルゼンチン戦で誕生した大会記録を紹介した。
そのレコードは、当時アルゼンチンの10番を背負っていたアリエル・オルテガが、試合中に受けた被ファウル数で、その数12回。これは現在も破られていないという。
当時、カルチョで異彩を放っていたストライカーのガブリエル・バティストゥータをはじめ、クラウディオ・ロペス、ファン・セバスティアン・ベロン、ディエゴ・シメオネなど、個性豊かなタレントを擁していたアルゼンチン。その中にあって、高度なテクニックを利したドリブルでアクセントとなっていたオルテガは、文字通りのキーマンだった。
現地時間5月11日、様々なスポーツデータを取り扱う英国の『Opta』は、自社ツイッターで、1998年のフランスW杯に関連した興味深いデータを発信。そのなかで日本の初陣となったアルゼンチン戦で誕生した大会記録を紹介した。
そのレコードは、当時アルゼンチンの10番を背負っていたアリエル・オルテガが、試合中に受けた被ファウル数で、その数12回。これは現在も破られていないという。
当時、カルチョで異彩を放っていたストライカーのガブリエル・バティストゥータをはじめ、クラウディオ・ロペス、ファン・セバスティアン・ベロン、ディエゴ・シメオネなど、個性豊かなタレントを擁していたアルゼンチン。その中にあって、高度なテクニックを利したドリブルでアクセントとなっていたオルテガは、文字通りのキーマンだった。
ゆえにこの記録は、「マラドーナ2世」とも称された技巧派アタッカーを、日本が警戒していた事実を物語っているとも言える。『Opta』はツイート内で、こう記している。
「アリエル・オルテガは日本に対して史上最多となる回数のファウルをされた。とくにモトヒロ・ヤマグチとエイスケ・ナカニシは、それぞれ4回も削っていた」
この記録を明かしたツイートには、ファンから「たぶん1982年のイタリア戦のマラドーナの方が受けていた」や「オルテガはダイビングにも定評があったからね」といったコメントが寄せられた。
日本にとって歴史的な一戦だった、このアルゼンチン戦で誕生した記録が、22年間も破られていないというのは、なかなか興味深い事実だ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部