小学校時代は「けっこうデカかった」
当サイトで好評を博した連載『黄金は色褪せない』。1999年のナイジェリア・ワールドユースで銀メダルに輝いた“黄金世代”のなかから、小野伸二、遠藤保仁、小笠原満男、稲本潤一、本山雅志の5人に登場してもらい、その華麗なるキャリアの全容に迫ったインタビューシリーズだ。
ここではGW企画として、数多ある興味深いエピソードから厳選した秘話をお届けしよう。
第3弾となる今回は、日本サッカー界最大級の至宝、オノシンジのサイドストーリーだ。サッカーをはじめたキッカケから、自身のキャリアの礎となった“キヨショウ”での3年間を振り返る。
天才をして「これは付いていけない……」と言わしめたのは──。
―――――◆――――◆―――――
小野伸二がサッカーボールを蹴り始めたのは、「たぶん保育園の5歳くらい」だったという。
いろんなスポーツを遊びでやりながら、近所の友だちとボールを蹴っていた。次第にのめり込んでいくのだが、小学校3年までは特定のサッカーチームに属していなかった。
ある日、そんなシンジ少年に転機が訪れる。
たまたま家の前を通りかかった友だちが「これからサッカーのトレーニングに行くんだ」と言い、「じゃあ俺も付いていく」となり、彼はグラウンドの片隅でひとりリフティングをしていたという。それがどんなレベルの代物だったかは分からない。それを見たコーチに「一緒にやらないか?」と声をかけられ、サッカー選手としての第一歩を踏み出すことになるのだ。ちなみに小学校時代は「けっこうデカかった」。
ここではGW企画として、数多ある興味深いエピソードから厳選した秘話をお届けしよう。
第3弾となる今回は、日本サッカー界最大級の至宝、オノシンジのサイドストーリーだ。サッカーをはじめたキッカケから、自身のキャリアの礎となった“キヨショウ”での3年間を振り返る。
天才をして「これは付いていけない……」と言わしめたのは──。
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小野伸二がサッカーボールを蹴り始めたのは、「たぶん保育園の5歳くらい」だったという。
いろんなスポーツを遊びでやりながら、近所の友だちとボールを蹴っていた。次第にのめり込んでいくのだが、小学校3年までは特定のサッカーチームに属していなかった。
ある日、そんなシンジ少年に転機が訪れる。
たまたま家の前を通りかかった友だちが「これからサッカーのトレーニングに行くんだ」と言い、「じゃあ俺も付いていく」となり、彼はグラウンドの片隅でひとりリフティングをしていたという。それがどんなレベルの代物だったかは分からない。それを見たコーチに「一緒にやらないか?」と声をかけられ、サッカー選手としての第一歩を踏み出すことになるのだ。ちなみに小学校時代は「けっこうデカかった」。
天才少年はメキメキと頭角を現わし、13歳で初めてU-16日本代表に選ばれるなど、サッカー王国・静岡でも知られた存在となっていく。
幼少期のアイドルはディエゴ・マラドーナで、それはいまも変わらない。ボールキープしているときの佇まいが、どことなくアルゼンチン代表のレジェンドを彷彿させるのは、偶然ではないだろう。
「なんかね、ボール持った瞬間にワクワクするじゃないですか。いったいこのあと、なにをするんだろうって。小さい頃からずっと好きですね。いつか会えたらいいなと思ってます」
幼少期のアイドルはディエゴ・マラドーナで、それはいまも変わらない。ボールキープしているときの佇まいが、どことなくアルゼンチン代表のレジェンドを彷彿させるのは、偶然ではないだろう。
「なんかね、ボール持った瞬間にワクワクするじゃないですか。いったいこのあと、なにをするんだろうって。小さい頃からずっと好きですね。いつか会えたらいいなと思ってます」