カンテラ時代の同僚の証言は…
いまや世界でも指折りのフリーキッカーとなったのが、バルセロナのリオネル・メッシだ。直接FKの精度は歳を重ねるごとに高まっており、“黄金の左足”から放たれるそれは、十八番となっている。
GK版バロンドールと称される「レフ・ヤシン賞」の初代受賞者となった名手アリソン(リバプール/ブラジル代表)をして、「(止めるのは)簡単じゃない」と言わしめるメッシの直接FK。だが、かつては今ほどの脅威を与えていなかった。事実、プロデビューを飾った2004年から15年途中までは、174本を蹴ってネットを揺らしたのは12本で、成功率は6.9パーセントにしか満たない。
若手時代の精度が低かったと証言する者もいる。メッシのカンテラ時代の同僚であるロヘル・ジルベルトは、英紙『The Sun』の取材で、次のように答えている。
「僕らの世代のラ・マシアの中では、ビクトル・バスケスがフリーキックに関しては、ずば抜けて巧かったんだ。その次はレフティーのファンホ・クラウジかな。あの時のメッシはキッカーの候補にも挙がらなかったよ」
GK版バロンドールと称される「レフ・ヤシン賞」の初代受賞者となった名手アリソン(リバプール/ブラジル代表)をして、「(止めるのは)簡単じゃない」と言わしめるメッシの直接FK。だが、かつては今ほどの脅威を与えていなかった。事実、プロデビューを飾った2004年から15年途中までは、174本を蹴ってネットを揺らしたのは12本で、成功率は6.9パーセントにしか満たない。
若手時代の精度が低かったと証言する者もいる。メッシのカンテラ時代の同僚であるロヘル・ジルベルトは、英紙『The Sun』の取材で、次のように答えている。
「僕らの世代のラ・マシアの中では、ビクトル・バスケスがフリーキックに関しては、ずば抜けて巧かったんだ。その次はレフティーのファンホ・クラウジかな。あの時のメッシはキッカーの候補にも挙がらなかったよ」
ではなぜメッシは世界有数のフリーキッカーになり得たのか? 同じく『The Sun』で、08年10月から約2年半に渡って、あのディエゴ・マラドーナ体制のアルゼンチン代表でコーチを務めたフェルナンド・シニョリーニが証言している。
同氏によれば、メッシはマラドーナから毎回のようにキックの特訓を受けていたという。
「ディエゴはほとんど毎回のようにメッシのところへやってきては、彼の肩を抱き、『さぁ、リトル・レオ。いいからこっちへ来るんだ』とキックの練習をさせていたよ。その練習では、何度もディエゴが『こうだ。さぁもう一回やろう』と教えていた。その光景はまさに先生と生徒のようだったね」
マラドーナは技術の高いメッシだからこそ、FKの名手にもあり得ると見込んだのだろう。成功率アップの裏には、サッカー界の“神”と崇められる男の教えがあった。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部