短期集中連載【日本代表 隠れ名勝負】vol.1 オフトジャパンのコートジボワール戦
ワールドカップやアジア最終予選、アジアカップやコンフェデレーションズカップといったメジャーな大会ではなく、マイナーな大会や親善試合においても日本代表の名勝負は存在する。ともすれば歴史に埋もれかねない“隠れ名勝負”を取り上げる短期集中連載。第1回は92年、オフトジャパン時代のコートジボワール戦を振り返る。(文●飯尾篤史/スポーツライター)
――◆――◆――
苦しい時に決めてこそ、エース――。
92年アジアカップのイラン戦、93年アメリカ・ワールドカップ1次予選のタイ戦に続き、この試合でも1-0の決勝ゴールを決めたのは、カズだった。
93年10月4日に国立競技場で行なわれたアジア・アフリカ選手権のコートジボワール戦。この時、オフトジャパンはふたつの意味で苦しんでいた。
ひとつは、ワールドカップ最終予選の壮行試合を兼ねたゲームそのものにおいて。高木琢也がポストプレーに冴えを見せ、福田正博が後半何度も好機を演出しながらゴールを割れず、延長戦へともつれ込んだ。
もうひとつは、チームを取り巻く状況において。
92年5月のオフトジャパン発足以来、92年にダイナスティカップとアジアカップで初優勝、93年に入って、ワールドカップ1次予選で前回イタリア大会に出場したUAEを退けて最終予選進出を決めるなど、右肩上がりの成長を遂げていた。
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苦しい時に決めてこそ、エース――。
92年アジアカップのイラン戦、93年アメリカ・ワールドカップ1次予選のタイ戦に続き、この試合でも1-0の決勝ゴールを決めたのは、カズだった。
93年10月4日に国立競技場で行なわれたアジア・アフリカ選手権のコートジボワール戦。この時、オフトジャパンはふたつの意味で苦しんでいた。
ひとつは、ワールドカップ最終予選の壮行試合を兼ねたゲームそのものにおいて。高木琢也がポストプレーに冴えを見せ、福田正博が後半何度も好機を演出しながらゴールを割れず、延長戦へともつれ込んだ。
もうひとつは、チームを取り巻く状況において。
92年5月のオフトジャパン発足以来、92年にダイナスティカップとアジアカップで初優勝、93年に入って、ワールドカップ1次予選で前回イタリア大会に出場したUAEを退けて最終予選進出を決めるなど、右肩上がりの成長を遂げていた。
ところが、この年5月に開幕したJリーグの過密日程が、代表選手の身体を蝕んでいく。
不動の左サイドバックである都並敏史は疲労骨折を負って復帰の目処が立たず、キャプテンの柱谷哲二はウイルス性の風邪をこじらせ、入院生活を余儀なくされた。
9月のスペイン遠征では2部、3部のクラブチーム相手に計7失点の3連敗。間近に迫った最終予選を危ぶむ声が噴出していたのである。
だが、コートジボワール戦では2週間前までベッドの上にいたキャプテンが的確なコーチングで守備陣を締め、左サイドバックに抜擢された三浦泰年が本職ではないポジションで、いきなりの国際試合にもかかわらず、及第点のプレーを見せる。
そして、痺れる展開で延長戦にもつれ込んだゲームに決着を付けたのが、エースだった。