「私自身のプランの中ではもっと早いテンポでタイサッカーを変えていかなければならないとも思っている」
タイ代表監督・西野朗が契約延長オファーを承諾、24日にタイサッカー協会(FAT)にて調印式が行なわれた。
新契約の内容は、新たに2年、A代表とU-23代表の兼務は今までと同様だが、新たに育成世代の強化、指導者養成、グラスルーツといった、代表チーム強化へ向けた業務全般をサポートするものだという。
契約延長にまつわる話は以前より噂になっていたのだが、正直驚いている。ソムヨットFAT会長と並んで契約書にサインする姿を目にしても、未だに信じ難い。何故か。それはここへ至る過程と、その時期に疑問を感じてしまうからである。
調印に先立ち、集まったメディアへ向けて西野はこう挨拶した。
「サワディーカップ。7か月間チーム活動をさせていただきました。言葉も十分ではありませんし、タイの歴史文化も十分に把握している訳ではありません。そのうえでタイサッカー界のトップを預からせていただいて光栄に思っています。代表チームにはタイ国民の皆様は大きな期待を持たれていると思いますが、その期待に十分に応えられていないとは私自身も強く思っています。そういった中で、この度、新しく再契約をさせていただいたことに関して、会長をはじめタイサッカー協会関係者の皆様に本当に深く感謝をしております」
西野が就任後に率いた試合はのべ15試合、6勝5分け4敗が内訳となる。確かに今回行なわれたU-23アジア選手権において、グループステージを突破してベスト8進出へ導いた手腕は評価出来る。しかし東京五輪出場という目標は道半ばで途絶え、22年ワールドカップ2次予選では苦しい戦いを強いられている。「残り3試合を全勝すれば可能性はある」という指揮官の発言もあるが、極めて難しい状況にあることも事実。前記の通り、西野本人も感じていることだろう。
にも拘わらず、である。A代表をアップステージへ導いた訳でもなく、U-23代表をオリンピック出場へ導いた訳でもない、何故このタイミングでFATは『見直し⇒契約延長』を設定し、断行したのだろうか。裏で動く大人の事情を疑われても仕方がないはずだ。
とはいえ、西野自身はタイ国民やメディアから敬愛された存在だ。東京五輪出場が夢と消えたサウジアラビア戦直後、会場に巻き起こった“ニシノコール”には驚いたが、現状、彼らにとっては救世主的な存在だということに変わりはない。調印式後の囲み取材で、そのことを象徴する現地メディアとのやり取りがあった。
――このままタイで人生を終えるのはどうでしょうか?
「家族に聞いてみましょうかね」
そう返答した西野の嬉しそうな笑顔は、私がタイで見た彼のベストエクスプレッションだった。
「タイサッカー界の発展に貢献していきたいと思っています。2年という長い期間をいただきましたが、私自身のプランの中ではもっと早いテンポでタイサッカーを変えていかなければならないとも思っています」
新契約の内容は、新たに2年、A代表とU-23代表の兼務は今までと同様だが、新たに育成世代の強化、指導者養成、グラスルーツといった、代表チーム強化へ向けた業務全般をサポートするものだという。
契約延長にまつわる話は以前より噂になっていたのだが、正直驚いている。ソムヨットFAT会長と並んで契約書にサインする姿を目にしても、未だに信じ難い。何故か。それはここへ至る過程と、その時期に疑問を感じてしまうからである。
調印に先立ち、集まったメディアへ向けて西野はこう挨拶した。
「サワディーカップ。7か月間チーム活動をさせていただきました。言葉も十分ではありませんし、タイの歴史文化も十分に把握している訳ではありません。そのうえでタイサッカー界のトップを預からせていただいて光栄に思っています。代表チームにはタイ国民の皆様は大きな期待を持たれていると思いますが、その期待に十分に応えられていないとは私自身も強く思っています。そういった中で、この度、新しく再契約をさせていただいたことに関して、会長をはじめタイサッカー協会関係者の皆様に本当に深く感謝をしております」
西野が就任後に率いた試合はのべ15試合、6勝5分け4敗が内訳となる。確かに今回行なわれたU-23アジア選手権において、グループステージを突破してベスト8進出へ導いた手腕は評価出来る。しかし東京五輪出場という目標は道半ばで途絶え、22年ワールドカップ2次予選では苦しい戦いを強いられている。「残り3試合を全勝すれば可能性はある」という指揮官の発言もあるが、極めて難しい状況にあることも事実。前記の通り、西野本人も感じていることだろう。
にも拘わらず、である。A代表をアップステージへ導いた訳でもなく、U-23代表をオリンピック出場へ導いた訳でもない、何故このタイミングでFATは『見直し⇒契約延長』を設定し、断行したのだろうか。裏で動く大人の事情を疑われても仕方がないはずだ。
とはいえ、西野自身はタイ国民やメディアから敬愛された存在だ。東京五輪出場が夢と消えたサウジアラビア戦直後、会場に巻き起こった“ニシノコール”には驚いたが、現状、彼らにとっては救世主的な存在だということに変わりはない。調印式後の囲み取材で、そのことを象徴する現地メディアとのやり取りがあった。
――このままタイで人生を終えるのはどうでしょうか?
「家族に聞いてみましょうかね」
そう返答した西野の嬉しそうな笑顔は、私がタイで見た彼のベストエクスプレッションだった。
「タイサッカー界の発展に貢献していきたいと思っています。2年という長い期間をいただきましたが、私自身のプランの中ではもっと早いテンポでタイサッカーを変えていかなければならないとも思っています」
ここタイで、たとえ契約期間内であったとしても、トップダウンで解雇された人間をこれでもかという程に目の当たりにしてきた。この国で契約書は、期間内の権利を約束するものではない側面も持ち合わせる。
もし22年ワールドカップ2次予選を勝ち抜けず、23年アジアカップへの出場権をも勝ち得えなかった時、パートナーシップ協定を結ぶ協会推薦のもとに嫁いできた日本人監督が、次のアジアカップまでの長い時間を残してタイから去ってしまえば、大変な騒ぎになるだろう。
異国文化の中で西野が奮闘していることは認めるところだ。しかし、今このタイミングでこれだけの長期契約を結ぶメリットがどこにあったのかは、疑問でしかない。それは指揮官の発言裏から、本人が一番感じているのかも知れないが……。西野とFATの蜜月関係はいつまで続くのだろうか。(文中敬称略)
取材・文●佐々木裕介