野心的な両チームによるオープンでフェアな試合になる
チャンピオンズ・リーグ準決勝で顔を合わせたマンチェスター・シティとレアル・マドリーは、その第1レグにおいてフットボールならではの説明可能なものと不可解なものが共存する白熱した試合を繰り広げた。
説明可能なものとは、両チームともに守備陣の出来を左右する重要な欠場者を抱えていたことだ。実際、4-3という最終スコアは、守備システムに対する攻撃陣の優位性を示したものだ。シティの中盤の選手たちの質と量が、多くのチャンスを生み出しながら、相当数の得点を決めることができなかったのかを説明している。
同様に眩いほどのマドリーのFW陣の質が、限られた機会に多くの得点を決めることができたかのかを説明している。怪我人と出場停止選手の復帰が、リターンマッチをより整然としたものにすると予想されるが、それもサンティアゴ・ベルナベウがエモーション爆発の火付け役といういつもの役割を演じ始めると分からなくなる。
いずれにせよ、野心的な両チームによるオープンでフェアな試合になるのは間違いない。カルロ・アンチェロッティとジョゼップ・グアルディオラの両監督の存在がそれを保証する。
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説明可能なものとは、両チームともに守備陣の出来を左右する重要な欠場者を抱えていたことだ。実際、4-3という最終スコアは、守備システムに対する攻撃陣の優位性を示したものだ。シティの中盤の選手たちの質と量が、多くのチャンスを生み出しながら、相当数の得点を決めることができなかったのかを説明している。
同様に眩いほどのマドリーのFW陣の質が、限られた機会に多くの得点を決めることができたかのかを説明している。怪我人と出場停止選手の復帰が、リターンマッチをより整然としたものにすると予想されるが、それもサンティアゴ・ベルナベウがエモーション爆発の火付け役といういつもの役割を演じ始めると分からなくなる。
いずれにせよ、野心的な両チームによるオープンでフェアな試合になるのは間違いない。カルロ・アンチェロッティとジョゼップ・グアルディオラの両監督の存在がそれを保証する。
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マドリーは奇跡に慣れ親しみ、その方程式を見出した感がある。その主成分を構成するのが自信、信念、クオリティ、スタミナの4つの要素。使用配分は試合により異なる。
さらに特筆に値するのは今回、その戦い方の“輸出”にも踏み切ったことだ。敵地エティハドに乗り込み、4ゴールを喫し、あと4ゴールを奪われてもおかしくなかったにもかかわらず、まるで動じることなく生還することに成功した。誰もが知る、奇跡を生み出すファクトリー、ベルナベウでセカンドチャンスを得るために、だ。
マドリーには諦めるという選択肢は決して存在しない。しかしそれもまた奇跡ということもできる。世代が変わり、以前よりも多くの割合でクラブの歴史を知らない外国人選手がユニホームを身にまとい、フットボールも取り巻く社会も変容している中でも、マドリーは敗北という重圧に立ち向かう反骨心を1ミリたりとも失わず持ち続けている。
その生存能力が、ピッチから観客席に昇っているのか、観客席からピッチに降りているのかという伝染の仕方は分からないが、唯一無二の競争心がクラブ全体に深く根を下ろしている。水曜日のシティ戦は、我々がその謎を理解するための新たな機会になる。
文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳:下村正幸
【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。
※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙に掲載されたバルダーノ氏のコラムを翻訳配信しています。
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さらに特筆に値するのは今回、その戦い方の“輸出”にも踏み切ったことだ。敵地エティハドに乗り込み、4ゴールを喫し、あと4ゴールを奪われてもおかしくなかったにもかかわらず、まるで動じることなく生還することに成功した。誰もが知る、奇跡を生み出すファクトリー、ベルナベウでセカンドチャンスを得るために、だ。
マドリーには諦めるという選択肢は決して存在しない。しかしそれもまた奇跡ということもできる。世代が変わり、以前よりも多くの割合でクラブの歴史を知らない外国人選手がユニホームを身にまとい、フットボールも取り巻く社会も変容している中でも、マドリーは敗北という重圧に立ち向かう反骨心を1ミリたりとも失わず持ち続けている。
その生存能力が、ピッチから観客席に昇っているのか、観客席からピッチに降りているのかという伝染の仕方は分からないが、唯一無二の競争心がクラブ全体に深く根を下ろしている。水曜日のシティ戦は、我々がその謎を理解するための新たな機会になる。
文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳:下村正幸
【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。
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