レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY――第57回・ヤシン(元ソ連代表)

カテゴリ:ワールド

サッカーダイジェストWeb編集部

2020年02月08日

祖国に2つのビッグタイトルをもたらした永遠の英雄

厳しい練習だけでなく、相手の特徴やクセをしっかり頭に入れておくという万全の準備が、神懸かり的な技の数々を可能にした。キャリアの最後まで進化・成長に対して貪欲だったが、私生活では無欲であり、謙虚さと周囲への感謝の気持ちを失うことがなかった。一方で、身体に悪いことを自覚しながらも、喫煙だけは止められなかったという意外な一面も。 (C) Getty Images

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 クラブでのキャリアをディナモ一筋で20年以上続けたヤシンは、またソ連代表選手としても、14年もの長きにわたって母国のゴールマウスを守り続けた。そしてここでも、彼は自らのセービングによって多くの勝利と栄光をチームにもたらしている。

 ディナモで正GKとなった翌年の1954年に代表入りを果たし、9月8日のスウェーデン戦でデビュー。すぐに代表でもレギュラーポジションを獲得すると、翌55年8月には世界王者・西ドイツ(当時)との一戦で好プレーを連発して3-2の勝利に貢献し、一躍世界に知られる存在となった。

 代表レベルで初めて栄冠を手にしたのは、その1年後である。オーストラリア・メルボルンで開催された夏季オリンピック、決勝でユーゴスラビアを下して金メダルを獲得。これは、ソ連にとって初めての国際タイトルであり、ヤシンは5試合中4試合でスタメン出場を果たし、失点をわずか2に抑えてみせた。

 58年にはスウェーデン・ワールドカップに出場。ソ連は初出場ながらも優勝候補のひとつに挙げられていたが、それもひとえにヤシンがゴール前に立っていたからだ。そのような期待に彼は十二分に応え、どの試合でも革新的なプレーで観客を魅了した。

 なかでもグループリーグのブラジル戦は0-2で敗れたものの、実に12回のファインセーブを見せ、この大会を制することになるタレント軍団を大いに苦しめた。当時17歳だった“王様”ペレは後年、ヤシンの度重なる美技を目の当たりにして「彼からゴールを奪うのは不可能だと思い、気が滅入ってしまった」と述懐している。

 ソ連はプレーオフでイングランドを下し、決勝トーナメントに進出。開催国スウェーデンに敗れて準々決勝で歩みは止まったものの、好印象を与えた彼らの快進撃は続き、2年後、新たなタイトルを手にする。

 アンリ・ドロネーらによって設立された「欧州ネーションズ・カップ」、後の「EURO(欧州選手権)」は、UEFA加盟国による大陸ナンバーワン代表チームを決める新たなコンペティションであり、予選を勝ち抜いた4か国による記念すべき第1回目の本大会は、フランスで開催された。

 ソ連は予選準々決勝でスペインとのカードが組まれるも、共産主義を嫌うフランコ体制がモスクワ遠征を許さなかったことでスペインが棄権、不戦勝で本大会へ駒を進めることになったが、準決勝ではチェコスロバキアを3-0で下し、ファイナリストに相応しい実力を持つことを証明した。

 決勝の相手は、メルボルン五輪決勝同様にユーゴ。ヤシンだけでなく、ユーゴのGKブラゴイエ・ヴィディニッチも好守を連発した試合は非常に堅い内容の接戦となったが、延長戦の末にソ連が2-1でこれを制し、初代欧州王者の称号を手にしたのだった。

 62年のチリW杯、32歳のヤシンは不動の守護神として大会に臨んだが、この時はプレーに安定感を欠き、グループリーグのコロンビア戦では4度もゴールを割られ、開催国との対戦となった準々決勝では、本来の彼であれば止められるはずのロングシュートで2点を奪われて、前回以上の成績を挙げられずに終わった。

 大会後は戦犯のひとりとして批判を受けることとなったヤシン。もはや、彼がファインセーブを見せるのは当たり前のことであり、わずかなミスが人々の記憶に残ってしまうようになっていたのである。

 精神的に厳しい時期を送ったヤシンだが、ここで挫けることなく、64年のネーションズ・カップでは再び母国を決勝に導く。開催国スペインに1-2で敗れて連覇はならなかったものの、健在ぶりをアピールした彼は、さらに2年後のイングランドW杯でも4位入賞(ソ連、ロシア時代を含めて最高記録)に貢献を果たした。

 40歳の時、70年メキシコW杯のメンバーに選出されたが、ヤシンは自身の名声に胡坐をかくことなく、「正GKは(アンソール・)カワサシュビリだ。根拠のないまま私が優先されれば、チームが混乱する」と語り、後輩のバックアップに回ることを自ら訴えた。代表での個人成績は78試合出場で失点70という素晴らしいものだった。

 同年末に現役引退を表明。翌年5月にモスクワで開催された引退試合には、ペレ、フランツ・ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラー、エウゼビオ、ボビー・チャールトンといったスター選手が駆け付けた。10万人の観衆を集めたこの豪華な一戦の収益は莫大で、ヤシンにも多くの報酬が支払われたが、彼はそのほとんどを孤児のために寄付している。

 トレードマークの黒いユニホームを脱いでからも、ヤシンは祖国のスポーツ界のために働き続け、ディナモでの指導の他、ソ連スポーツ委員会の要職を歴任。こうした長年の多大な貢献により、同国スポーツ界で初の社会主義者労働英雄の受勲という栄誉に浴した。

 現役時代は滅多に怪我をしなかった“鉄人”も、引退後は血管の病で右足の切断を余儀なくされるなど、幾多もの苦難に見舞われる。それら試練を乗り越え、精力的に働いたが、90年3月21日、胃癌のために60歳の若さで永遠の眠りについた。子どもの頃、貧しさゆえの劣悪な食生活で胃を患い、常にこの部位の病に苦しめられてきた。

 誰もがその死を惜しんだ伝説の守護神は現在、W杯の最優秀GK賞にその名が冠せられているが、さらに昨年からは「GK版バロンドール」として『フランス・フットボール』が新設した賞の名称にも採用され、改めて偉大なスポーツマンとしての功績と、誰からも愛され、尊敬された人間性が脚光を浴びることとなったのである。

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<アプリインストール>
公式サイト :https://pksc.jp/
Google Playストア (Android) : https://app.adjust.com/hipjap
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<アプリ情報>
メーカー|NewsTech Inc.
配信日|配信中(2013年2月14日より)
ジャンル|サッカー・シミュレーション
価格| 基本プレイ無料(アイテム課金制)
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