【セルジオ越後】世論の後押しで実現した高校生の活躍の場。感染防止の徹底は当然だが――

2020年06月12日 サッカーダイジェストWeb編集部

世論が望んだ「交流試合」「代替大会」。周囲も温かい目で見守ってほしい

高校野球は交流試合を実施。選手権の開催にも光が見えてきたが、いまだ感染リスクがあることは肝に銘じておかなければいけない。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 Jリーグは6月15日に今季のリーグ戦の日程を発表することになったね。社会的にも徐々にだけど自粛が解除されてきて、いよいよスポーツ界にも再開の雰囲気が漂ってきたように感じるよ。

 そうしたなかで、中止となった春のセンバツ高校野球の出場校で、8月に「交流試合」を実施することが決まった。新型コロナウイルスの影響でプレーする機会を奪われてしまった球児たちにとっては、"各校1試合限定"という満足な形ではないにせよ、なんとか日頃の練習の成果を発揮できる場が生まれたわけだ。

 なぜ、こうした大会が実現できたのかと言えば、やはり一番の大きな要因は世論の力だったと思うよ。現場の球児や先生たちの想いだけで、なんとかなるという状況ではなかったし、メディアが春夏の大会中止を悲劇的なニュースとして扱うだけでは新型コロナの脅威の下で開催する理由とはならなかったはずだよ。

 いろんな人が様々な意見を出し合って、それに世間の人々が共感したり、賛同の声を上げたりして、そういう声をメディアが大きく報じて世論がつくられていった。それが高野連や文科省といった組織を動かしたのだと思う。

 一方でやはり中止となったインターハイでは、多くの各都道府県で「代替大会」を検討しているようだけど、これも世間の声に押された部分は大きいだろう。ただし、地域によっては開催するのが難しいところもあるようだね。もちろん、新型コロナの感染リスクというものがあるからで、「交流試合」を決めた高校野球においてもこれはつきものだ。そこはしっかりと肝に銘じ、最大限の注意を払って運営をしていかなければならないよ。

 逆に、リスクがあると承知のうえでの開催なのだから、感染防止策の徹底は当然だけど、仮にそれでも感染者が出たとしても関係者を責めるなんてことがあってはならない。世論が開催することを望んで実現した「交流試合」であり、「代替大会」なのだから、周囲も温かい目で選手や支える家族、関係者を見守らなければね。
 
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