【アジアカップ回想】無得点で最下位…“絶対王者”のデビュー戦

2015年01月18日 サッカーダイジェストWeb編集部

学生主体のチームで無得点での最下位に終わった初めての大会。

各国から称賛されたイラク戦の日本。そんなアジアの強国の原点は、88年の学生チームにあった!? 写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト編集部)

 アジアカップ・グループリーグ2戦目のイラク戦で、内容の伴った勝利を見せた日本。海外からも、ディフェンディングチャンピオン、そして優勝候補筆頭にふさわしい力を有しているとの高評価を得ている。
 
 アジア連覇に向けて驀進する日本は当然ながら今回、ハビエル・アギーレ監督が考えるベストメンバーを揃えて大会に臨んでいる。それは韓国やオーストラリア、そして他の出場国も同じであろう。
 
 アジア王者というステータス、そこから生じる金銭的なメリット、そして2年後のコンフェデレーションズ・カップ出場権など、得るものの多さが各国を本気にさせているのは間違いない。
 
 そんななかで日本は、初優勝を遂げた自国(広島)開催の1992年大会以降、6大会で4度の優勝を遂げ、アジアの盟主として君臨し続けている。今や日本がアジアの国に敗れることは、他大陸から見れば大ハプニングとも捉えられるほどになっているのだ。
 
 Jリーグ開幕(93年)前後のサッカーブーム以降、日本は常にアジアの強者であり続けているわけだが、それ以前に行なわれたアジアカップことを知る者はあまり多くない。
 
 この大会は56年にスタートし、そこから4年ごとに開催されてきた。つまり日本が初優勝を遂げた92年の前に、すでに9大会が行なわれていたのである。果たして、そこでの日本の成績はいかなるものだったのか。
 
 答を先に言ってしまえば、この9大会のなかで日本が本大会に出場したのはわずか1回である。第1~3回、5回、7回、8回は不参加で、4回と6回は予選敗退、そして唯一予選を突破できたのは88年に行なわれた9回大会だった。
 
 アジアの王者を決める重要なコンペティションに不参加を決め込んだ理由は、それが当時の日本サッカー最大の目標であった五輪と開催年が同じだったことだ。A代表チームは五輪に集中せざるを得ず、さらに財政的な問題もあって別のチームを作って送り込むことすら厳しかった。
 
 4回大会(68年)は学生主体のB代表で初参加して予選敗退、6回大会(76年)はA代表が参加したがやはり予選突破はならず、9回大会でようやく本大会への切符を手にした。そして88年、初めて本大会に臨んだ日本のメンバーは以下の通りである。
 
GK
土田尚史(大阪経大)
真田雅則(順天堂大)
DF
上野展裕(早稲田大)
堀池 巧(読売クラブ)
田口禎則(筑波大)
阪倉裕二(順天堂大)
本吉 剛(中央大)
井原正巳(筑波大)
大嶽直人(順天堂大)
MF
白沢久則(ヤンマー)
大榎克己(ヤマハ)
池ノ上俊一(大阪商大)
中山雅史(筑波大)
黒崎久志(本田)
野田 知(国士舘大)
FW
簔口祐介(古河)
前田 治(全日空)
鋤柄昌宏(筑波大)
松山吉之(早稲田大)
高木琢也(大阪商大)
 
監督:山口芳忠
※選手の表記と所属(括弧内)は当時のもの。当時のA代表監督は横山謙三
 
 元Jリーガー、そして現在は指導者として活躍している選手が多く見受けられ、馴染みのある名前が多いだろうが、当時はほとんどが学生。日本サッカーの台所事情としては致し方なかったとも言えるが、一部からは日本の姿勢に批判の声も寄せられた。
 
 68年のメキシコ五輪以降、あらゆる大会でアジアを勝ち抜けずにいた日本。それが学生主体とあっては、A代表のベストメンバーを揃えたイラン、韓国、UAE、カタールに敵うはずもなく、それぞれ0-0、0-2、0-1、0-2という結果に終わり、無得点でのグループリーグ最下位に終わった。
 
 この頃は日本サッカー自体がどん底にあったと言っても過言ではなく、とてもその4年後に優勝を果たすなどとは想像すらできなかった。
 
 しかし、プロサッカーリーグ誕生が決まってサッカー界を取り巻く環境が劇的に変化し、さらに三浦知良のブラジルからの帰国やラモス瑠偉の帰化、そして初の外国人監督としてハンス・オフトを招聘したことで日本代表は飛躍的に強さを増していった。
 
 また、10回大会が自国の広島で開催され、さらに五輪が23歳以下という年齢制限付きの大会になったこと(それ以前はアマチュアの場合は制限なし、プロの場合はワールドカップ出場経験がないこと)も、日本がアジアカップに力を注げる大きな要因となった。
 
 そして最後に、不遇の時代に懸命に戦った選手たちの存在も忘れるわけにはいかない。この先達が後輩たちに経験を伝えたことで、日本はアジアに覇を唱えるまでに成長した。そして今では指導者として、世界に通用する優秀な逸材を生み出し続けている。
 
 92年から現在まで続いている栄光の時代は、それ以前の長い暗黒時代の努力、そして幸運によって築かれたのである。
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