李忠成、あのビューティフルボレーの誕生秘話を明かす!! AFC公式が2011年アジア杯優勝決定弾をリバイバル!

2019年01月31日 サッカーダイジェストWeb編集部

李が小さい頃、よくボレーシュートの練習をしていた相手とは?

日本が前回優勝した2011年大会では、決勝で李が勝負を決めるボレーシュートを放った。写真:田中研治

 アジアカップは、2月1日に日本代表対カタール代表の決勝戦を残すのみとなった。決勝を前日に控え、AFC公式ツイッターは日本が優勝した2011年アジアカップ決勝・オーストラリア戦の決勝ゴールの動画を、得点者の李忠成へのインタビューを交えて公開している。


 舞台は8年前のアジアカップ決勝。日本はオーストラリアと延長戦にもつれ込む死闘を演じる。勝負を決めたのは李の鮮烈な一発だった。延長後半の109分、左サイドをえぐった長友佑都が左足でクロスを供給すると、これを中央でフリーとなった李が鮮やかな左足のボレーシュートでネットを揺らす。これが決勝点となり、日本は4度目のアジア制覇を達成した。

 このゴールについて、李は当時の記憶を蘇らせながら一連のシーンを振り返る。
「『よくフリーになったね』とか、『フリーになってラッキーだったね』とか言われるんですけど、俺ん中じゃラッキーじゃねえんだよって(笑)。ちゃんとフェイントを入れて、ディフェンダーをつって、この画面の中じゃ映っていないところでちゃんと駆け引きして、相手を前に行かして自分がバックステップ踏んでフリーになった。この時点で勝負あった感じなんですけどね…」
 
 そうしてピッチ上での相手との駆け引きからフリーでクロスを待ち構えた経緯を話した李だが、あの美しいフォームでのボレー弾には感謝すべき人物がいることを告白。それが李の祖母だというのだ。本人がこう続ける。
「よく小さい頃、おばあちゃんとね。ボレーシュートの練習をしていたんで、その成果がここで出たのかなと思います。この試合で、あのボレーシュートを打って、おばあちゃんにすごく感謝した部分もあるし、やはり小さい頃の、ゴールデンエイジと言われる10歳前後で会得した技だったり、まさにそういう(ものが出た)瞬間だったのかなと思います」
 
 李の決勝弾が歓喜を呼び込んだ4度目の優勝から8年。日本は、再びアジアの王座に就くことができるだろうか。

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