レアル・マドリー外国人GKの系譜――ナバスは新たな歴史を創り上げるか!?

2014年08月06日 サッカーダイジェストWeb編集部

イルクナー以来となる外国人正GKの座をナバスは射止めるか!?

世代交代の時期を迎えつつあるR・マドリーのGK。新たな歴史の担い手としてナバスにかかる期待は大きい。 (C) Getty Images

 8月5日、レアル・マドリーの聖地サンチャゴ・ベルナベウで入団発表を行なったケイラー・ナバス。先のブラジル・ワールドカップで大活躍を見せた世界屈指の守護神は、家族も同伴しての盛大なセレモニーで、マドリディスタから大歓迎を受けた。
 
「夢が叶った。世界で最も偉大なクラブの一員になれたのだから」と喜びを語ったナバスに対し、フロレンティーノ・ペレス会長は「我々は世界トップクラスのGKを迎え入れることに成功した。ナバスはこれから、そのキャリアにおいて最大の挑戦に臨むこととなる」と、称賛とエールを送った。
 
 ナバスにとってこの移籍は、ひとつの到達点であると同時に、ペレス会長が語ったように大きな挑戦の始まりでもある。コスタリカ人として初めてR・マドリー入りを果たしたことは快挙であり、それ自体がナバスの価値を高めたことを意味するが、これからはこの夢のクラブでゴール前に立ち続けるという目標を達成しなければならない。
 
 R・マドリーのGKといえば、2000年からイケル・カシージャスが不動の守護神として君臨してきた。そして1902年に始まったクラブの長い歴史において、ほとんどの年代でスペイン人がレギュラーとしてゴールを守り続けてきている。
 
 フランシスコ・ブーヨ、アグスティン・ロドリゲス、ミゲル・アンヘル、ガルシア・レモン、アンドレス・フンケラ、アントニオ・ベタンコルト、ホセ・トライン、ホセ・アラキスタイン、ファン・アロンソ、ホセ・バニョン、そして現在はスペインの年間最優秀GKに与えられる賞にその名が冠せられているリカルド・サモラ……等々。
 
 そもそも、R・マドリーに所属した外国籍のGKは非常に少ない。1934年にこのクラブでデビューしたジュラ・キシェルが初のケースであり、このハンガリー人は2シーズンで20試合に出場した。41-42シーズンにはキューバ生まれのマリオ・インチャウスティが加入するも、事故で試合出場のないままキャリアを終えている。
 
 1957年にアルゼンチンのラシンから移籍したロヘリオ・ドミンゲスは、翌年から2シーズン続けてチャンピオンズ・カップ(現リーグ)決勝でゴールを守り、クラブの欧州5連覇をなし遂げた偉大なイレブンのひとりとして、歴史に名を残すこととなった。
 
 ここから長い空白期間を経て、R・マドリーに外国人守護神が再来したのは96年。ボスマン裁定によってEU圏内の外国人枠が撤廃された最初のシーズン、クラブ初のイタリア人監督となったファビオ・カペッロの希望でドイツ人のボド・イルクナーが加入した。
 
 ケルンひと筋でキャリアを重ねてきた世界王者(90年イタリア・ワールドカップ優勝時の西ドイツの正GK)は、何度か大きな怪我に苦しめられながらも、2度のリーグ優勝、そしてクラブとして7度目となる欧州制覇に貢献を果たし、2001年の契約満了を持ってキャリアに幕を閉じた。
 
 イルクナー在籍時の99年にはアルゼンチン人のアルバノ・ビザーリ(現ジェノア所属)が加入するも、翌年にはバジャドリーへ移籍した。そして07年にはポーランド代表GKのイェルジ・ドゥデクが34歳で加入。リバプールでは05年にチャンピオンズ・リーグ優勝の立役者となった守護神は、4シーズンを過ごしてリーグ戦での出場はわずか2試合に終わり、イルクナー同様にこのクラブで現役を退いた。
 
 多くの世界的名手が往来したR・マドリーだが、このようにGKの舶来は非常に少ない。ポジションの特性からすれば納得のいく部分もあるが、ライバルのバルセロナが96年から9人のGKを海外から迎えているのと比べると、やはりR・マドリーの守護神の座は、外国人GKにとって非常に手の届きにくいものと言えるだろう。
 
 しかし今シーズン、ナバスがR・マドリーに到来した。カシージャスから絶対的な安定感が失われ、ディエゴ・ロペスに移籍の噂が流れる今、このコスタリカ人がカルロ・アンチェロッティ監督のファーストチョイスとなる可能性は十分にある。
 
 レバンテで注目を浴び、ワールドカップで評価を決定づけたナバスが、イルクナー以来となる外国産の正守護神として新たな歴史を創成するかどうかは、今シーズンのR・マドリーにおける、大きな興味のひとつである。
 
 
【写真で見る】スターとともに歩んだレアル・マドリーの歴史(1955~2014)
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