【番記者通信】ヒルズボロの悲劇から25年。「赤」と「青」がひとつになった特別な1日|リバプール

2014年04月18日 ジェームズ・ピアース

96人の犠牲者とその遺族のために――。

ヒルズボロの悲劇から25年。追悼式典では、宿敵エバートンのマルティネス監督もスピーチをした。 (C) Getty Images

 その日、アンフィールド(リバプールの本拠地)には見慣れない光景が広がっていた。

 スタジアムに集まった2万5000人のその中に、エバートンの指揮官ロベルト・マルティネスがいた。それも、リバプールサポーターの聖地とも言うべきゴール裏のKOPスタンドにだ。そしてスタンディングオベーションに包まれた。

 感動的なスピーチを終えると、このスペイン人指揮官はリバプールのブレンダン・ロジャース監督と熱い抱擁を交わした。街を二分する赤と青が文字通りひとつとなったこの日、2014年4月15日は、あの「ヒルズボロの悲劇」からちょうど25年目という特別な日だった。25年前のあの日、シェフィールドのヒルズボロ・スタジアムで起こった凄惨な事故で命を落とした96人を悼む追悼式典が、アンフィールドで催されたのだ。

 ヒルズボロの悲劇のとき、マルティネスはスペインの田舎町で暮らす15歳の少年だった。ショッキングなニュースだったと、当時を振り返るその面持ちは沈痛だった。

「サッカー観戦に行った、愛する家族が帰ってこない。遺族の方にとっては、とても耐え難い悲しみ、恐怖だったと思います。愛するサッカーの試合で死亡事故など考えられない。あの日の出来事は、あってはならない間違い。なんて理不尽なんでしょう」

 マルティネスのスピーチを、エバートンの選手たちとスタッフはグディソン・パークのスクリーンで見守っていた。「エバートンの関係者たちも被害者に祈りを捧げています」と、マルティネスは付け加えた。

「(リバプールに)移り住んでまだ10か月ですが、この街に住む人々の温かさと情義、そして強い気持ちには感動を覚えるばかりです。戦いつづける遺族の方々の熱意と決意を間近に感じることができました。ヒルズボロ・ファミリーサポートグループの皆さんが持つクオリティーです。25年という長きに渡り、さまざまな“間違い”を乗り越えてきたその戦いぶりは、本当に素晴らしい。だからこそ、サッカー界のみならず、すべての人々が敬意を払わずにはいられないのです。いまさら言葉にする必要はないかもしれませんが、エバートンFCは常に皆さんと共にあります。ヒルズボロは決して忘れません。これまでも、そしてこれからも」

 マルティネスの感動的なスピーチに続いたのは、同じくエモーショナルなロジャース監督のスピーチだった。オーナーも、クラブスタッフも、OBも、現役の選手たちも、アンフィールドにいたすべての人間が、ロジャースの言葉に聞き入った。

「一点の曇りもなく言えるのは、96人の犠牲者の名前と記念碑が、私に最大のインスピレーションを与えてくれているということ。そのすべての人に愛する家族がいて、愛されていた。しかし、あまりにも突然に逝ってしまったのです。犠牲者の方々、その遺族の方々。遺された人々の戦いぶりこそが、私たちにとって最も大きなモチベーションなのです。両親、兄弟、姉妹。息子に娘、友人と仲間のサポーター。96人の犠牲者の方々のために、あなたたちは25年間戦いつづけてきた。その勇気、不屈の精神、尊厳、さらに亡くなった方への愛情こそが、私たちを奮い立たせてくれる。リバプールFCの監督としての私に、勇気と決意、意気込みを与えてくれるのです。感謝の気持ちでいっぱいです」

 ロジャースの震える声に、万雷の拍手が重なった。

「You’ll Never Walk Alone」

 96人の犠牲者とその遺族は、決して「ひとりで歩いていくことはない」。

【記者】
James PEARCE|Liverpool Echo
ジェームズ・ピアース/リバプール・エコー
地元紙『リバプール・エコー』の看板記者。2000年代半ばからリバプールを担当し、クラブの裏の裏まで知り尽くす。辛辣ながらフェアな論評で、歴代の監督と信頼関係を築いた。

【翻訳】
松澤浩三
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