東京五輪エース候補の進路はJ1ではなくJ2――。岩崎悠人が京都入りを決断したふたつの理由

2016年08月04日 雨堤俊祐

これまでも何度も繰り返してきた感謝や恩返しの言葉。

鹿島やFC東京などのJ1勢からも獲得オファーが届いた岩崎。来季の進路が注目されてきたが、最終的には京都への入団を決めた。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 今年度の高校No.1ストライカーとの呼び声高く、2020年東京五輪世代でのエース候補とも謳われるFW岩崎悠人(京都橘高/3年)の進路が決定した。
 
 複数のJクラブから受けたオファーのなか、岩崎が最終的に選択したのは京都サンガF.C.。J1の強豪クラブからも声が掛かったにもかかわらず、なぜJ2の京都への入団を決めたのだろうか。
 
 本人はふたつの理由を明かしている。ひとつは地元への想いだ。
 
 生まれ育った滋賀県、成長と飛躍の場となった京都府。"京滋(けいじ)"という言葉があるように京都府と滋賀県は地理・経済・生活など様々な面で結びつきがあり、岩崎も幼少期にJ1在籍時の京都の試合をスタジアムで観戦しているという。
 
「地元の滋賀、お世話になった京都。ひとりでも多くの人に応援してもらえて、プレーを見てもらうことで感動してもらって恩返しをしたいという気持ちがありました」
 
 岩崎はこれまでも、何度も感謝や恩返しという言葉を口にしている。育ててくれた家族、選手としてだけでなく人としても成長させてくれた米澤一成監督をはじめとする指導者や学校関係者、苦楽をともにしてきたチームメイトやマネージャー……。自身の置かれた環境にありがたさを感じており、それをモチベーションのひとつとしてきたのだ。
 
 前述した言葉は、その延長線上にある。他のクラブに行ったとしても、そのクラブ、その土地で愛される存在になれるだろう。ただ、岩崎はこれまで過ごしてきた時間を共有している人たち、同じ地域で生活する人たちの近くでサッカーを続けることを選択した。それは地域密着を掲げるリーグやクラブの理念とも通じるものがある。京都橘の前線でコンビを組むFW堤原翼は「サンガやったら西京極に試合を見に行けますね」と笑顔を見せていた。
 
 もうひとつの理由は、クラブ側の熱意だ。
 
「細川(浩三・チーム強化本部長)さんや野口(裕司・強化部長)さん、フロントの人たちの熱意が伝わってきました。サッカーだけでなく、これから生きていくうえでのアドバイスを真剣にしてくれた。この人たちに付いていきたい、と思いました」
 
 オファーを出した他のクラブも熱心にラブコールを贈ったに違いないが、より心を動かしたのが京都だったのだという。
 
「僕の成長を第一に考えてくれました。日本だけでなく海外へ行く時もサポートするよ、と。応援してくれる人がいないと上へはいけない」と、将来的には欧州でプレーしたいという志を後押しされたのもひとつの要因となった。
 

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