【リオ五輪】塩谷の夢を乗せた挑戦。“泣き虫”から日本を背負う“希望の星”へ

2016年07月25日 小田智史(サッカーダイジェスト)

「チームの目標は金メダル。個人としては勝利に貢献する。シンプルにそれだけ」

船上激励会で大松SCの古屋監督(右)、吉田コーチ(左)とフレームに収まった記念ショット。恩師やかつてのチームメイトたちの想いも背負い、日本のために全力を尽くす。 写真提供:吉田太治(大松サッカー少年団)

 リオ五輪日本代表の一員としてブラジルに経つおよそ1か月前、塩谷司は故郷の徳島にいた。6月14日にオーバーエイジ選手への内定が発表された週末、小学生時代に在籍した大松サッカー少年団(大松SC)の元チームメイトらが集まり、「激励会」を執り行なってくれたのだ。
 
 大松SCと言えば、塩谷が初めて監督やコーチに指導を受けてサッカーに励んだ"原点"のひとつ。観光クルーズ船で徳島市の新町川などを周遊しながら関係者と歓談し、リオ五輪への想いを語ったという。
 
「日本を背負って頑張ってきます!!」
 
 少年時代の塩谷はわんぱくだった一方で、すぐに泣く一面を持っていた。従兄弟たちと遊んでも、母の姿が見えなければ泣き出し、祖母宅にひとりでは泊まれず。サッカーでも、試合中に相手選手と接触すると倒れてうずくまり、よく泣いていたそうだ。当時、塩谷を指導し、現在も大松SCでコーチを務める吉田太治氏は、今も連絡を取り合い、徳島に帰ってきた際には飲みにも繰り出す教え子の心中をこう推察する。
 
「表情や仕草には出しませんが、オーバーエイジ枠で相当なプレッシャーを感じているはずです」
 
 実際、普段はあまり緊張しない塩谷も、オーバーエイジでの出場には、「あまり自分から引っ張っていくようなタイプではないし、少なからずプレッシャーはあります」と認めている。それでも、戦力として期待されている分、「チームの中心に立って、しっかりプレーしないといけない」(塩谷)。ブラジルに向かう前の国内合宿では遠藤航らU-23世代と積極的にコミュニケーションを図り、チームに溶け込もうとする姿が見られた。
 
 2008年の北京五輪時はメンバーに入るチャンスさえなかった。そして訪れた、8年越しの大舞台――。激励会でのスピーチで「頑張ってきます!!」とだけ公約したという塩谷に対し、吉田氏はエールを送る。
 
「司ももう大人(笑)。小学生の時のように相手に倒されても泣かず、我慢してピッチに立ち続けたら、自然と活躍すると思います。普段どおりの自分を見失わずに、応援してくれている大勢の仲間のことを信じて頑張ってほしいですね」
 
 かつて泣き虫だった少年は、日本国民の期待を背負って戦う"希望の星"となった。応援してくれる家族や恩師、仲間の期待に応えるため、そしてリオの先に見据えるロシア・ワールドカップに向けてアピールするために――。やることはただひとつ、「金メダルに向かって勝利に貢献する」(塩谷)だけだ。
 
取材・文:小田智史(サッカーダイジェスト編集部)
 
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