2-0で勝っても20本ダッシュ…城彰二が鹿実時代の“地獄の遠征”を回想「ずっと走っていて、そのまま試合に行く」

2025年07月02日 サッカーダイジェストWeb編集部

「でも、ありがたかったよ」

城氏が高校時代を振り返った。(C)SOCCER DIGEST

 元日本代表FWの城彰二氏が、自身のYouTubeチャンネルで、鹿児島実高時代の"地獄の遠征"を振り返った。

 過酷な練習が多いことで知られていた鹿実で、城氏が特にキツかったのは遠征時だという。小さな大会では、選手たちに"3-0で勝つ"といった"ノルマ"がかせられていた。

 1点につき20本のダッシュとなるため、例えば2-0で勝っても、試合後には20本を強いられていた。また当時は「大会に参加すると、1日4試合とかやる」状況だった。

 そんななか、後に城氏がトップチームに加入するジェフユナイテッド市原(現・千葉)のユース相手では、"ノルマ"が4-0。ゲームは2-1で勝ったが、"3点不足"で60本のダッシュになった。
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「試合会場の脇で、100メートルぐらい測って。そこで『1本目』が始まる。ほかのみんなは、試合をやっていているなかで『2本目』とか言って、ずっと走っている。夏で上半身裸。それで走っているうちに、60本の前に試合が終わっちゃって。次の試合がすぐ組まれているから、結局40本ぐらいずっと走っている。走っていて、ピピって(次の試合に)呼ばれ、ユニホームを着て、そのまま試合に行く」

「4点、5点を取って、本数を減らすこともできる」というが、「『絶対やろうぜ』って、やると空回りしてやっぱり追加20本とかに。それで延々と走っている。それはキツい。(鹿実時代を知る人に)『昔ってフェスティバルとか来てよくずっと走っていたよね』と言われる」と回想する。

 ただ城氏は「でも、ありがたかったよ。あういう経験をさせてもらったから、プロにもなれたし(日本)代表にも入れた。悔いのないサッカー人生を送らせてもらった」と感謝した。

 強豪校で、城氏は必死にサッカーに取り組んでいた。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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