「永遠に僕のなかに、そして人々のなかで生き続ける」
キングカズが溢れる想いを長文にしたためた。
6月3日、プロ野球・読売ジャイアンツの終身名誉監督である長嶋茂雄さんが肺炎のため亡くなった。享年89。国民から愛され続けた“ミスター”の突然の訃報。日本中が悲しみに暮れるなか、アトレチコ鈴鹿の元日本代表FW三浦知良もクラブを通して哀悼の意を示した。
【画像】敵地で豪州&大阪でインドネシアと対戦!W杯アジア最終予選ラスト2試合に挑む日本代表招集メンバーを一挙紹介!
以下がメッセージの全文だ。
「長嶋さんは野球界だけでなく、すべての人たちにとってのスーパースターでした。あらゆる人たちに愛されていたのだと思います。
7歳くらいの頃に目にした引退セレモニーは脳裏に焼き付いています。選手として活躍されていたときのことを、同じ時代の人間として見てはいないはずの僕らでも、『この人はすごい人だ』と勝手にインプットされていました。すごい選手だぞ、と誰かから教わったわけでもない。それでも僕も含めた人々の、生活の一部となっていました。
6月3日、プロ野球・読売ジャイアンツの終身名誉監督である長嶋茂雄さんが肺炎のため亡くなった。享年89。国民から愛され続けた“ミスター”の突然の訃報。日本中が悲しみに暮れるなか、アトレチコ鈴鹿の元日本代表FW三浦知良もクラブを通して哀悼の意を示した。
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以下がメッセージの全文だ。
「長嶋さんは野球界だけでなく、すべての人たちにとってのスーパースターでした。あらゆる人たちに愛されていたのだと思います。
7歳くらいの頃に目にした引退セレモニーは脳裏に焼き付いています。選手として活躍されていたときのことを、同じ時代の人間として見てはいないはずの僕らでも、『この人はすごい人だ』と勝手にインプットされていました。すごい選手だぞ、と誰かから教わったわけでもない。それでも僕も含めた人々の、生活の一部となっていました。
プレーはもとより、日ごろの一つ一つの振る舞い、しぐさににじみ出る長嶋さんの長嶋さんたるゆえん。名言の数々。何をしても華があって、サマになる。面白くて、印象に残る。すべてが絵になる。いるだけで周りが明るくなる。人々が笑顔になれる。夢をみさせてくれる。そんな存在だったのだと思います。
『サッカー界の長嶋茂雄のような存在になりたい。』これからJリーグが創設されようという頃、憧れにとどまらない決意にも似た思いで、取材時にそう答えていたのを思い出します。
心からお悔やみを申し上げ、そしてご冥福をお祈りいたします。とても悲しく残念ではありますが、長嶋さんが野球人として貫かれたことは、みんなの心に、失われることなく宝物としてずっと残るのではないでしょうか。『長嶋茂雄』は一つの存在として、永遠に僕のなかに、そして人々のなかで生き続けるのだろうと思います。 三浦知良」
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
【記事】「父が長嶋さんの大ファンで…」長嶋茂雄氏の逝去に日本代表の森保監督がコメント「少年時代、背番号は3だった」【現地発】
【記事】川淵三郎氏が同じ1936年生まれの長嶋茂雄氏を追悼。初対面時を回想「『サッカーもようやくここまできたんだ』と深い感慨を覚えました」
『サッカー界の長嶋茂雄のような存在になりたい。』これからJリーグが創設されようという頃、憧れにとどまらない決意にも似た思いで、取材時にそう答えていたのを思い出します。
心からお悔やみを申し上げ、そしてご冥福をお祈りいたします。とても悲しく残念ではありますが、長嶋さんが野球人として貫かれたことは、みんなの心に、失われることなく宝物としてずっと残るのではないでしょうか。『長嶋茂雄』は一つの存在として、永遠に僕のなかに、そして人々のなかで生き続けるのだろうと思います。 三浦知良」
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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