「ボールを離さなかった」 “根拠のない勘違い”をしていた清水の秋葉監督が市船で浴びた洗礼「雨が降ったらファミコンでしょ。それが…」

2025年02月27日 サッカーダイジェストWeb編集部

「田舎のドリブラーですよ」

秋葉監督が若き日の自身について語った。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 清水エスパルスの秋葉忠宏監督が、前園真聖氏のYouTubeチャンネル「おじさんだけど、遊んでもいいですか?」に出演。市立船橋高時代を振り返った。

 秋葉監督は、市立船橋高を卒業後の1994年にジェフユナイテッド市原(現・千葉)でプロキャリアをスタート。その後、アルビレックス新潟などでプレーした。

 世代別代表でも活躍し、前園氏らと共に96年のアトランタ五輪にも出場。当時は粘り強いマークに定評があり、ボランチやセンターバックを務めていた。ただ、幼少期から高校の途中までは「俺、めっちゃドリブラーでした」と回想する。

 小学校4年生でサッカーと出合った秋葉監督は、中学校でもサッカー部に入部。レベルは高くなく、顧問の先生もあまり練習に出てこないような状況だった。そのなかで、生徒たちで練習メニューや試合のメンバーを決めるなど、自由にプレーしていたという。

「田舎のドリブラーですよ。トップ下とか。一番上手い選手がやるポジションでしょ。ボールを離さなかったです。ずっとドリブルをしていました。何回取られようが」
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 そして、全国的な強豪の市立船橋高に進学すると、様々な洗礼を浴びる。まず当時の1年生は丸刈りを強制されていた。また秋葉監督は、雨の日に練習があることさえ知らず、休みだと思い帰ろうとしていたことも。

「雨が降ったらファミコンでしょ。それが高校に行ったら急に『おい。何やっているんだ。お前』と練習で。10キロを走って、100メートルダッシュを20本。筋トレを3セット。何だ、これはと思いましたよ、最初」

 そのなかで、秋葉監督の「若者の特権。根拠のない勘違い」は崩れていく。

「ずっとトップ下でドリブルをしていても、全然使ってくれないんですよ。3分とかで交代させられた時がありますからね。『お前、何回ドリブルしているんだ』みたいな感じで。だんだん気づいてくるわけですよ。もっと上手いやつがいますし。だんだんポジションが下がってきて。2年の時は、サイドバックとかセンターバックで出ていました。3年の時にボランチになった」

 もっとも、守備的なポジションへのコンバートで才能を開花させた秋葉監督は、3年次の全国選手権では優秀選手に選ばれるなど成長し、プロへと進んだのだった。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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