「底辺中の底辺」から這い上がった太田宏介。プロ18年間で最も悔しかったのは? ネイマールに4発を叩き込まれたブラジル戦ではなく…

2024年01月12日 有園僚真(サッカーダイジェストWeb編集部)

「そもそも代表に行けたことがミラクルすぎます」

現役最終年にJ2優勝を果たし、故郷町田でパレードを行なった太田。しかしキャリアを通して成し遂げられず、心残りなのは…。写真:鈴木颯太朗

 Jリーグで一時代を築いた名手がまた1人、ユニホームを脱いだ。太田宏介だ。

 横浜FCでデビューし、日本代表や海外クラブでもプレーした太田は昨季、地元のFC町田ゼルビアで現役ラストイヤーを戦い、見事にJ2制覇を達成。18年のプロキャリアを華々しく締め括った。

【インタビューPHOTO】「底辺中の底辺からスタート」した太田宏介が愛する町田で有終の美!"幸せを運ぶエンジェルレフティ"を直撃
 
 その武器はなんと言っても正確無比な左足である。引退を発表した会見で「左利きとしてのキックや質がちょっと長けた選手だったのかな」と自己分析していた稀代のレフティに、改めて「太田宏介の代名詞は何?」と訊いても、やはりと言うべき答えが返ってきた。

「ちょっと大まかになってしまうんですけど、やっぱり左足です。左利き自体が少ないし、太田宏介イコールになると思うので。そういったプレースタイルで印象を与えられたのは、左利きだったからこそです。左足のキックには自信を持っていました」

 太田は自身のキャリアについて、「そもそも僕は、横浜FCの同期4人の中で1番評価や年俸が低かったし、本当に底辺中の底辺からスタートしたキャリアだったので、代表に行けたことがミラクルすぎます」と清々しい表情で語る。
 
 ただ当然、ほとんど試合に絡めなかったプロ1年目や、出場が叶わなかったワールドカップなど、逆境も経験したなかで、あえて「プロキャリアで最も悔しかった出来事」を尋ねた。すると、百戦錬磨の元日本代表DFは「なんだろうな…」と少し考えたうえで、1つの結論を導き出した。
 
「日本代表でブラジルと対戦した時に、ネイマールに4点取られて、0-4で完敗したこともあるんですけど…。エスパルスの時に天皇杯決勝で負けたりして、J1でのタイトルを1つも獲れなかったんです。

 FC東京でも2015年に惜しいところまで行きました。でも、夏に武藤(嘉紀)がいなくなったり、ゴンちゃん(権田修一)が離脱しちゃったり。優勝できるチャンスは何回かあったんですけど、及ばなかった。うん…J1でタイトルを獲れなかったことが悔しいかな」

 選手時代の悔しさも胸に新たな道を歩む、36歳のハードワーカー太田。第二の人生でも貪欲に我武者羅に、栄光に向かって走り続ける。

取材・構成●有園僚真(サッカーダイジェストWeb編集部)

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