「毎日うつ状態でした」宮市亮がアーセナル加入当時の苦悩を告白。「移籍金の劣等感もあった」と振り返る

2023年05月31日 サッカーダイジェストWeb編集部

家と練習場の往復でストレスを溜め込む

『ABEMA』で宮市亮のインタビューが公開中。写真:ABEMA

 新しい未来のテレビ『ABEMA』が5月29日、『横浜F・マリノス 宮市亮 ~プレミアリーグに挑戦した男が語る~』と題した独占配信した。

 インタビュアーは元北朝鮮代表FWで、最近はABEMA解説でも人気の鄭大世氏だけに、ここでしか聞けない話が満載だ。

 インタビューのメインテーマはタイトルの通りプレミアリーグだ。2011年に18歳でアーセナルと契約した宮市は、中京大学附属中京高校からの加入だったため移籍金がゼロ。「移籍金はすごく気にしていました。僕はゼロだったのに、プレシーズンにジェルビーニョやポドルスキなど何十億円で買われてきた選手が次々に入ってきて、そこへの劣等感もありました。金額的にそっち使うよねっていう」と振り返った。

 鄭大世氏から「そういうの気にするタイプなんだね」と問われると、宮市は「本当にレベルも高かったので、正直、毎日うつ状態でした」と笑顔を見せつつも告白。ロンドンで知人も友人もおらず、家と練習場を往復するだけの孤独な毎日だっただけに、余計にストレスを溜め込んでしまったという。
 
 ちなみに、鄭大世氏は「俺もプレミアリーグを目指していたけど、同じ愛知出身の18歳の子がぽんってプレミアに行ったから、正直、失敗しろって思ってた。俺みたいな心が黒い人間はそうなのよ」と告白して爆笑を誘う。

 しかし、自身がケルン時代にアーセナル時代の宮市と対戦し、「衝撃的だった。聞いてはいたけど、日本人でサイドでスピードがある選手って大体が小柄だったけど、180センチ以上でこれだけ速い選手がいるのかと思った」と回想。才能は抜群だったと太鼓判を押した。

 本人も認めた通り怪我も多くアーセナルで台頭できなかった宮市はその後、ボルトン、ヴィガン、トゥベンテ、ザンクトパウリなどを渡り歩き、2021年から横浜F・マリノスに所属している。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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