「バネが凄い選手の対応ってのが実はいちばん難しい」
次に挙げたのが、セレッソ大阪や柏レイソルでもプレーした韓国代表の大砲、ファン・ソンホン(黄善洪)だ。
「ファン・ソンホンはとにかく“外す”のが抜群に巧かった。駆け引きのところですね。消える動きとか、瞬間的にさっと出てくる動きが冴えていました。サイズ(183センチ)は大きいほうだったけどすごく俊敏で、韓国の選手はああいうところの駆け引きが本当に巧い。セレッソの時にけっこうやられたなってイメージが強いですね。競り合いでは負けてなかったんだけど、ここぞの局面での勝負強さが流石でした」
秋田より3つ歳上の高木琢也(現V・ファーレン長崎監督)も手強かったという。
「もうフィジカルが圧倒的で、身体自体がすごく強い。常にプレーエリアを確保されていた印象ですね。自分の空間をしっかり持っていて、それを活用されていた。対峙した日本人選手の中では、ヘディングが一番強かったんじゃないですかね」
同じく日本代表で僚友だった“ゴン”中山雅史には、違った意味で怖さを感じていたようだ。
「ゴンさんはご存知の通り、倒れても倒れてもまた立ち上がってくる。不屈の魂というか、そこで絶対に折れないんですよ。で、最終的には1点取るという。ディフェンダーとして、あれは堪えるものなんです。アントラーズとジュビロで覇権を争っていた時期がいちばん凄かったけど、本当に掴みどころがなかったですね」
そして最後に挙げたのがかなり意外な外国籍FWだった。1995、96年の2シーズンだけガンバ大阪に所属していたオランダ代表のアタッカー、ハンス・ヒルハウスである。身長は175センチとさほど上背があるわけではなく、肉弾戦で強みを発揮するタイプでもない。だが秋田の言葉を借りれば、ああいった“バネ男”がもっとも厄介なのだという。
「もうね、本当に対戦するのが嫌だった(笑)。ああいうバネが凄い選手の対応ってのが実はいちばん難しくて、僕がダエイと戦った時に彼のパワーを利用したように、ヒルハウスは上手くタイミングを合わせて乗っかってくるんですよ。それこそ凄い瞬発力とバネでね。結果的に競らせてもらえないというか、届かない。そこのセンスは抜群でした。意外? いやいやいや、知るひとぞ知るストライカーですよ」
「ファン・ソンホンはとにかく“外す”のが抜群に巧かった。駆け引きのところですね。消える動きとか、瞬間的にさっと出てくる動きが冴えていました。サイズ(183センチ)は大きいほうだったけどすごく俊敏で、韓国の選手はああいうところの駆け引きが本当に巧い。セレッソの時にけっこうやられたなってイメージが強いですね。競り合いでは負けてなかったんだけど、ここぞの局面での勝負強さが流石でした」
秋田より3つ歳上の高木琢也(現V・ファーレン長崎監督)も手強かったという。
「もうフィジカルが圧倒的で、身体自体がすごく強い。常にプレーエリアを確保されていた印象ですね。自分の空間をしっかり持っていて、それを活用されていた。対峙した日本人選手の中では、ヘディングが一番強かったんじゃないですかね」
同じく日本代表で僚友だった“ゴン”中山雅史には、違った意味で怖さを感じていたようだ。
「ゴンさんはご存知の通り、倒れても倒れてもまた立ち上がってくる。不屈の魂というか、そこで絶対に折れないんですよ。で、最終的には1点取るという。ディフェンダーとして、あれは堪えるものなんです。アントラーズとジュビロで覇権を争っていた時期がいちばん凄かったけど、本当に掴みどころがなかったですね」
そして最後に挙げたのがかなり意外な外国籍FWだった。1995、96年の2シーズンだけガンバ大阪に所属していたオランダ代表のアタッカー、ハンス・ヒルハウスである。身長は175センチとさほど上背があるわけではなく、肉弾戦で強みを発揮するタイプでもない。だが秋田の言葉を借りれば、ああいった“バネ男”がもっとも厄介なのだという。
「もうね、本当に対戦するのが嫌だった(笑)。ああいうバネが凄い選手の対応ってのが実はいちばん難しくて、僕がダエイと戦った時に彼のパワーを利用したように、ヒルハウスは上手くタイミングを合わせて乗っかってくるんですよ。それこそ凄い瞬発力とバネでね。結果的に競らせてもらえないというか、届かない。そこのセンスは抜群でした。意外? いやいやいや、知るひとぞ知るストライカーですよ」