中村は言う。「(松井は)試合に出られないから、と言うような小さな男ではない。」
監督やスタッフからの熱心な慰留に悩んだ末での決断でもあった。
「ずっとここでやってくれ、という話をしてくれて、嬉しかったですし、光栄なこと。でも、より厳しい状況に身を置いて、立ち止まらずに、もがきながら進んでいくことで何かを得られたら、やはりそれが自分にとって一番良いのかなと。サッカーを楽しむことを武器に、そして人生のちょっとした楽しさ、光を見つけながら、前進したいと思います」
―――◆―――◆―――◆―――
「自分がジュビロにすんなり馴染めたのは松井のおかげ。彼がここに来た時、海外からの移籍だったし、年齢的なこともあるし、最初は難しさもあったのではないかと思うけど、そのなかで、ベテランの居場所をつくってくれていたので、自分はそれと同じようにやるだけでした」
そう語る中村俊輔は、かつて日本代表でともに闘った盟友の決断を、「彼らしい」と言う。
「(松井は)試合に出られないから、と言うような小さな男ではない。ジュビロに尽くしてきて、サッカー人生の最後のほうにきて、自分のプレーや野心を追い求める感覚を取り戻したい、輝きたいという気持ちがあったと思う。『居場所があって安泰で幸せです、というのが嫌』という言い方をしていた。『俺らしいっしょ』と自分で言っていたけど、アイツらしいですね」
その日の練習で、中村俊は松井からFKの蹴り方を教えて、と言われたという。
「急に?って(笑)。向こうで蹴るつもりなんでしょう。ハングリー精神を持って、レギュラー争いをして、暴れるのかな」
広島戦後に行なわれたセレモニーで、松井はピッチの中央に立ち、感謝と別れの挨拶をした。その途中、一度声を詰まらせた後、こう続けた。
「今日は負けましたが、僕は、名波さんにずっと監督を続けてほしいと思います。明日からの連勝を信じて、ポーランドで応援しています」
「ずっとここでやってくれ、という話をしてくれて、嬉しかったですし、光栄なこと。でも、より厳しい状況に身を置いて、立ち止まらずに、もがきながら進んでいくことで何かを得られたら、やはりそれが自分にとって一番良いのかなと。サッカーを楽しむことを武器に、そして人生のちょっとした楽しさ、光を見つけながら、前進したいと思います」
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「自分がジュビロにすんなり馴染めたのは松井のおかげ。彼がここに来た時、海外からの移籍だったし、年齢的なこともあるし、最初は難しさもあったのではないかと思うけど、そのなかで、ベテランの居場所をつくってくれていたので、自分はそれと同じようにやるだけでした」
そう語る中村俊輔は、かつて日本代表でともに闘った盟友の決断を、「彼らしい」と言う。
「(松井は)試合に出られないから、と言うような小さな男ではない。ジュビロに尽くしてきて、サッカー人生の最後のほうにきて、自分のプレーや野心を追い求める感覚を取り戻したい、輝きたいという気持ちがあったと思う。『居場所があって安泰で幸せです、というのが嫌』という言い方をしていた。『俺らしいっしょ』と自分で言っていたけど、アイツらしいですね」
その日の練習で、中村俊は松井からFKの蹴り方を教えて、と言われたという。
「急に?って(笑)。向こうで蹴るつもりなんでしょう。ハングリー精神を持って、レギュラー争いをして、暴れるのかな」
広島戦後に行なわれたセレモニーで、松井はピッチの中央に立ち、感謝と別れの挨拶をした。その途中、一度声を詰まらせた後、こう続けた。
「今日は負けましたが、僕は、名波さんにずっと監督を続けてほしいと思います。明日からの連勝を信じて、ポーランドで応援しています」