活動の中から、未来のJリーガーが育ってくれたら嬉しい。
現在の小笠原を語るうえで欠かせないのが、「東北人魂」での活動だ。きっかけとなったのは言うまでもなく、2011年3月11日の東日本大震災だった。
「清水でJの試合があるんで、東京駅に向かう途中、高速道路のバスの中だった。寝てたから揺れは感じてないけど、気づいたらバスが路肩に停まってて、なにがあったんだろうって。テレビを付けてようやく状況を把握した。岩手の親とか知り合いとか連絡がつかなくて、鹿島も被災地だったから、すごく心配したよね」
震災発生から1週間が経った頃だった。すでに親族の安否は確認できていたが、居ても立ってもいられず、現地に向かうことにした。新潟や秋田を周るルートであれば入れるという情報を掴んだからだ。小笠原が車を運転し、家族全員で一路東北へ。
「辿り着くまではなにもかもが普段と変わらない景色だったけど、津波が来たところからはもう一気に……。言葉では言い表せないくらいで、頭の中が真っ白になった。買ってきたものを身内や近所に配るくらいしかできなくてね。個人で届けるだけって、やっぱり限界があるなと感じた」
鹿島に戻ってすぐに、あるサッカー関係者から、被災地でサッカーボールを蹴れなくなり、辞める子どもが増えていると聞かされた。スパイクもボールもユニホームも流され、経済的な余裕もなくなったからだ。「じゃあそういうのを届けてあげよう」と思い付いたのが、活動の始まりだった。
東北出身のJリーガーに声を掛け、宮城出身の今野泰幸(ガンバ大阪)や秋田出身の熊林親吾(当時・ザスパ草津)らを発起人とし、「東北人魂を持つJリーガーの会」を発足させるのだ。
「熊林とか、『僕らは被災地じゃないけど手伝わせてください』と言ってくれて、じゃあちゃんとした連絡網を作って会でやろう、東北出身みんなでやろうって空気になって。東北人魂は、俺がチャリティーマッチのときにTシャツに書いた言葉。一発でメッセージを伝えたいって考えたときに、分かりやすいのがいいと、パッと思い浮かんだのがそれ。
東北のひとにはお互いを助け合う優しさだったり、黙々と我慢しながらでも困難に耐えられる強さがある。その気持ちがあれば乗り越えられる。だからこその、『東北人魂』。東北のひとにはきっと伝わる、復興にもいいメッセージになると思った」
会の活動も今年で7年目。やり続けることが大切だと感じている。
「まだまだだけど少しずつ復興はしてるし、発信し続けないと風化の速度は早まる。当初は物資を届ける、子どもたちとサッカーをするのがメインだったけど、これからは長年続いていく大会形式のイベントを定着させたい。もしその中から、未来のJリーガーが育ってくれたら嬉しいよね。
ただ楽しかったで終わるんじゃなくて、震災があったから頑張れただったり、触れ合ったプロの選手たちに刺激を受けて『僕もプロになりたい!』と思ってくれたり。そうなれば嬉しいし、すごく期待してますよ」
小笠原の実息もサッカーをしている。「巧くなりたかったら努力しろ、やるなら最後までやれとは話した。俺が父親に言われたのと同じことだね」と、少し頬を緩ませながら、やりとりを明かしてくれた。
「清水でJの試合があるんで、東京駅に向かう途中、高速道路のバスの中だった。寝てたから揺れは感じてないけど、気づいたらバスが路肩に停まってて、なにがあったんだろうって。テレビを付けてようやく状況を把握した。岩手の親とか知り合いとか連絡がつかなくて、鹿島も被災地だったから、すごく心配したよね」
震災発生から1週間が経った頃だった。すでに親族の安否は確認できていたが、居ても立ってもいられず、現地に向かうことにした。新潟や秋田を周るルートであれば入れるという情報を掴んだからだ。小笠原が車を運転し、家族全員で一路東北へ。
「辿り着くまではなにもかもが普段と変わらない景色だったけど、津波が来たところからはもう一気に……。言葉では言い表せないくらいで、頭の中が真っ白になった。買ってきたものを身内や近所に配るくらいしかできなくてね。個人で届けるだけって、やっぱり限界があるなと感じた」
鹿島に戻ってすぐに、あるサッカー関係者から、被災地でサッカーボールを蹴れなくなり、辞める子どもが増えていると聞かされた。スパイクもボールもユニホームも流され、経済的な余裕もなくなったからだ。「じゃあそういうのを届けてあげよう」と思い付いたのが、活動の始まりだった。
東北出身のJリーガーに声を掛け、宮城出身の今野泰幸(ガンバ大阪)や秋田出身の熊林親吾(当時・ザスパ草津)らを発起人とし、「東北人魂を持つJリーガーの会」を発足させるのだ。
「熊林とか、『僕らは被災地じゃないけど手伝わせてください』と言ってくれて、じゃあちゃんとした連絡網を作って会でやろう、東北出身みんなでやろうって空気になって。東北人魂は、俺がチャリティーマッチのときにTシャツに書いた言葉。一発でメッセージを伝えたいって考えたときに、分かりやすいのがいいと、パッと思い浮かんだのがそれ。
東北のひとにはお互いを助け合う優しさだったり、黙々と我慢しながらでも困難に耐えられる強さがある。その気持ちがあれば乗り越えられる。だからこその、『東北人魂』。東北のひとにはきっと伝わる、復興にもいいメッセージになると思った」
会の活動も今年で7年目。やり続けることが大切だと感じている。
「まだまだだけど少しずつ復興はしてるし、発信し続けないと風化の速度は早まる。当初は物資を届ける、子どもたちとサッカーをするのがメインだったけど、これからは長年続いていく大会形式のイベントを定着させたい。もしその中から、未来のJリーガーが育ってくれたら嬉しいよね。
ただ楽しかったで終わるんじゃなくて、震災があったから頑張れただったり、触れ合ったプロの選手たちに刺激を受けて『僕もプロになりたい!』と思ってくれたり。そうなれば嬉しいし、すごく期待してますよ」
小笠原の実息もサッカーをしている。「巧くなりたかったら努力しろ、やるなら最後までやれとは話した。俺が父親に言われたのと同じことだね」と、少し頬を緩ませながら、やりとりを明かしてくれた。