「もう一度井原さんと一緒にJ1でやりたい」
「湘南から残ってくれと言われていましたけど、この世界は試合に出ないと意味がないと思っていますし、オリンピックのことを考えたら、ゲーム勘や出場機会というのは必要になってくる」
こう覚悟を決めて移籍した先の福岡では完全なる主力としてJ1昇格を経験。翌年には念願叶ってリオ五輪の代表にも選ばれた。だが、その一方でチームはJ2降格の憂き目を見ることになった。
「個人としても、もっともっと上を目指したいと思っていますし、日本のトップレベルのJ1というところで、ずっと戦っていきたいという思いはある」
降格間際に亀川はこうJ1残留への強い思いを口にしていたのだが、果たしてそれは叶わず。福岡の降格が決まった後、彼のもとにはJ1クラブからのオファーが届いた。しかし、彼は福岡への残留を選択したのである。その背景には、信頼して止まない指揮官の存在があった。
「福岡で井原さんに出会ってオリンピックに出られたという事実もあると思うので。それなのに自分だけで出ていくという選択肢は……。迷った部分は正直ありましたけど、もう一度井原さんと一緒にJ1に上がってやりたいという気持ちが強かった。チームが落ちて、話があったなかで出ていくのは簡単かもしれないですし、J1にいくこともチャレンジという人もいるかもしれません。だけど、僕はJ2に残って1年で上がるというそのチャレンジをしたいと決断した。だからこそ今年は是が非でもJ1に上がらなければいけないと考えています」
こう覚悟を決めて移籍した先の福岡では完全なる主力としてJ1昇格を経験。翌年には念願叶ってリオ五輪の代表にも選ばれた。だが、その一方でチームはJ2降格の憂き目を見ることになった。
「個人としても、もっともっと上を目指したいと思っていますし、日本のトップレベルのJ1というところで、ずっと戦っていきたいという思いはある」
降格間際に亀川はこうJ1残留への強い思いを口にしていたのだが、果たしてそれは叶わず。福岡の降格が決まった後、彼のもとにはJ1クラブからのオファーが届いた。しかし、彼は福岡への残留を選択したのである。その背景には、信頼して止まない指揮官の存在があった。
「福岡で井原さんに出会ってオリンピックに出られたという事実もあると思うので。それなのに自分だけで出ていくという選択肢は……。迷った部分は正直ありましたけど、もう一度井原さんと一緒にJ1に上がってやりたいという気持ちが強かった。チームが落ちて、話があったなかで出ていくのは簡単かもしれないですし、J1にいくこともチャレンジという人もいるかもしれません。だけど、僕はJ2に残って1年で上がるというそのチャレンジをしたいと決断した。だからこそ今年は是が非でもJ1に上がらなければいけないと考えています」