母国オランダに初のメジャータイトルをもたらした88年の夏。
ミランで一世を風靡し、数々のタイトルを勝ち取ったフリット。しかし、その恵まれた才能はクラブレベルだけでなく、オランダ代表でも存分に発揮された。
フリットの代表デビューは1981年9月1日。つまり、19歳の誕生日である。
この日のスイス戦から代表選手としてのキャリアは始まったが、当時のオランダは低迷期に入っており、フリットは82年スペイン・ワールドカップ、EURO84、86年メキシコW杯と、立て続けに予選敗退の失望を味わうこととなった。
86年W杯予選では、プレーオフでベルギーにアウェーで0-1と敗れた後のリターンマッチ、2-0でリードしながら、終盤にアウェーゴールを許して敗退するという、非常に悔しい結末を迎えている。
この時期、代表では守備的MFを務めたり、最終ラインに立ったりする(リベロとして)こともあったフリットだが、リヌス・ミケルス監督の下では最前線に近い位置で攻撃の能力を存分に発揮することとなった。
そしてようやく予選を突破したEURO88、大会前にはミランでリーグ制覇を果たしていた彼は、その勢いを代表にも持ち込んで、チャンスを作るとともに、幾つもの貴重なゴールをマーク。ソ連との決勝では、先制点を強烈なヘッドで決めている。
ヒーローの座はファン・バステンに譲ったものの、母国に初のメジャータイトルをもたらす英雄のひとりとなったフリット。2年後のイタリアW杯では、当然ながら初の世界制覇の期待がかけられた。
しかし前述の通り、フリットはこのあたりから膝に爆弾を抱えるようになり、イタリアW杯の前にも長期欠場を強いられており、一時は本大会出場も危ぶまれるほどだったが、何とか間に合わせ、キャプテンとして初の世界の舞台に上がった。
コンディションが完全でない状態でもフリットは奮闘し、アイルランド戦では初ゴールも決めたが、チームは不振を極め、1勝も挙げられないまま、決勝トーナメント1回戦で大会から姿を消すことを余儀なくされた。
怪我を克服して大会に間に合ったことの満足感と、国民の期待に応えられなかったことへの悔しさを半分ずつ味わったイタリアの夏から2年後、フリットはスウェーデンで開催されたEURO92に出場した。
EURO88の優勝メンバーが円熟期を迎え、そこにデニス・ベルカンプら才能溢れる若手が加わったことで、オランダは優勝候補の一角に挙げられ、実際に準決勝まで駒を進めたものの、伏兵デンマークにPK戦の末に敗れ、大会連覇を果たすことはできなかった。
そしてこれが、フリットにとって最後のメジャーイベントとなった。94年アメリカW杯にも招集を受けていたが、様々な問題によって代表辞退を決意。32歳で代表キャリアに幕を下ろすこととなった。最終成績は、66試合出場17得点だった。
クラブレベルでは、チェルシーでプレイングマネジャーに就任した96-97シーズン、前述の通りFAカップをチームにもたらしたのを最後に、現役引退を発表し、監督としてキャリアをすぐにスタートさせた。
しかし、監督専任の1年目となった97-98シーズン、いきなり途中解任の憂き目に……。翌シーズンにはニューカッスルの監督となり、かの有名な「セクシーフットボール」をコンセプトに掲げるが、ここでも在任期間は1シーズンと短命に終わった。
その後、2004年にフェイエノールト、07年にアメリカのロサンゼルス・ギャラクシー、そして11年にはロシアのテレク・グロズヌイを率いたものの、やはり結果を残せず、すぐにその座を追われることとなった。
現在はコメンテーターなどを務めているフリット。現在は短髪で髭もなしと、その風貌は現役時代と大きく変わったが、彼がピッチ上で残した数々の伝説は、今なお色褪せることなく、当時を知る人々の記憶のなかに息づいている。
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フリットの代表デビューは1981年9月1日。つまり、19歳の誕生日である。
この日のスイス戦から代表選手としてのキャリアは始まったが、当時のオランダは低迷期に入っており、フリットは82年スペイン・ワールドカップ、EURO84、86年メキシコW杯と、立て続けに予選敗退の失望を味わうこととなった。
86年W杯予選では、プレーオフでベルギーにアウェーで0-1と敗れた後のリターンマッチ、2-0でリードしながら、終盤にアウェーゴールを許して敗退するという、非常に悔しい結末を迎えている。
この時期、代表では守備的MFを務めたり、最終ラインに立ったりする(リベロとして)こともあったフリットだが、リヌス・ミケルス監督の下では最前線に近い位置で攻撃の能力を存分に発揮することとなった。
そしてようやく予選を突破したEURO88、大会前にはミランでリーグ制覇を果たしていた彼は、その勢いを代表にも持ち込んで、チャンスを作るとともに、幾つもの貴重なゴールをマーク。ソ連との決勝では、先制点を強烈なヘッドで決めている。
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しかし前述の通り、フリットはこのあたりから膝に爆弾を抱えるようになり、イタリアW杯の前にも長期欠場を強いられており、一時は本大会出場も危ぶまれるほどだったが、何とか間に合わせ、キャプテンとして初の世界の舞台に上がった。
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そしてこれが、フリットにとって最後のメジャーイベントとなった。94年アメリカW杯にも招集を受けていたが、様々な問題によって代表辞退を決意。32歳で代表キャリアに幕を下ろすこととなった。最終成績は、66試合出場17得点だった。
クラブレベルでは、チェルシーでプレイングマネジャーに就任した96-97シーズン、前述の通りFAカップをチームにもたらしたのを最後に、現役引退を発表し、監督としてキャリアをすぐにスタートさせた。
しかし、監督専任の1年目となった97-98シーズン、いきなり途中解任の憂き目に……。翌シーズンにはニューカッスルの監督となり、かの有名な「セクシーフットボール」をコンセプトに掲げるが、ここでも在任期間は1シーズンと短命に終わった。
その後、2004年にフェイエノールト、07年にアメリカのロサンゼルス・ギャラクシー、そして11年にはロシアのテレク・グロズヌイを率いたものの、やはり結果を残せず、すぐにその座を追われることとなった。
現在はコメンテーターなどを務めているフリット。現在は短髪で髭もなしと、その風貌は現役時代と大きく変わったが、彼がピッチ上で残した数々の伝説は、今なお色褪せることなく、当時を知る人々の記憶のなかに息づいている。
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