オーストラリアには7000人のパレスチナ人が暮らす。
強風の中で行なわれたニューカッスルでのパレスチナ戦、ぼくが驚いたのは寒さやスコアではなくて、数多くのパレスチナ・サポーターだった。
パレスチナに行ったことがないぼくは、こんなに大勢のパレスチナ人に出会ったことがなかった。
当事者たちも驚いていた。シドニーからバスを連ねてやって来たファンの中には、打ち振られる無数の「国旗」を目の当たりにして「こんなにいるなんて」と目を丸くする人もいたのだ。
多くの民族が共生するオーストラリア、調べてみるとパレスチナ人は実に7000人近く暮らしているという。
「オーストラリアのアジアカップって何だか変だよね」
日本を発つ前、友人とそんな会話をしていたが、考えてみればこの国にはたくさんの移民が暮らしている。パレスチナ人もイラン人も日本人も中国人もたくさんいる。もしかしたら、アジアカップを開催するにふさわしい場所かもしれない。
イランが2-0でバーレーンを破った翌日、テヘランに住む旧知のイラン人から、こんなメールが届いた。
「イラン人は世界中にいるけど、オーストラリアにもこんなにいるんだね。俺の周りは、みんな驚いているよ」
今回のアジアカップに、いちばん胸を躍らせているのがパレスチナ人だろう。自分たちの代表チームが、アジア最強を争う大舞台に初めて立つことになったのだ。
ヨルダン川西岸で生まれ、9歳のときシドニーに渡ってきたという18歳のアミールさんは、その喜びをこう語った。
「この興奮は、きみには理解できないかもしれないよ。しかもデビュー戦の相手が、チャンピオンの日本というのがいいよね。これはワールドカップでブラジルと対戦するようなものなんだよ。勝てるとは思わないけど、200パーセント、ベストを尽くすよ」
ガザからシドニーに逃れてきた35歳のオメルさんも、「この気持ちは、ちょっと言葉にできないよ」と話していた。
その「言葉にできない気持ち」は、手にした旗が表わしていた。
「サッカーを応援するには、やっぱり国旗が要るだろう。世界が見守る中で、パレスチナの国旗を振りたいじゃないか。だから俺は人生で初めて針と糸を手にして、2日がかりでこれを縫い上げた。この竿だって、近所の林で探してきたんだ」
こんなに不細工な旗はないかもしれない。でも、これこそがパレスチナの不屈の精神を物語っている――。ぼくはそう思った。
試合当日、地元紙「デイリー・テレグラフ」には、次のような選手の言葉が載っていた。
「アジアカップでプレーできるのはほんとうに誇らしいし、このことは世界中への強いメッセージになると思う。ときにスポーツは、政治よりも主張を伝えることができるんだ」
たしかに、その通りだなと思った。
私たちは戦争以外のパレスチナを知らない。代表チームがアジアカップに出ることで、彼らは自分たちの人生や思いを世界中に伝えることができるのだ。
実際に、この試合でぼくも学んだ。日本がパレスチナと戦ったことで、故郷を捨ててオーストラリアに渡らなければならなかったパレスチナ人が10万人もいた、ということを知った。
政治家のひと言よりも、この日、スタジアムを包み込んだ国旗や歌声の方が、より多くの人に、より深い何かを伝えられるかもしれない。
イスラエルに抑圧された国、パレスチナの代表チームは満足に活動することができない。
家族に会えない選手がいて、仕事でアジアカップに来られない選手もいるという。移動も制限されている。
パレスチナの人々には戦時中というのが平時であって、その中でスポーツをするということがどれくらい大変なことなのか、平和に慣れたぼくには正直、想像もつかない。
生きることが大変なパレスチナと、だれにも邪魔されることなくサッカーに専念することができる日本。あまりにもかけ離れた環境に、この試合をどう捉えればいいのか途方に暮れてしまった。
このウェブでぼくは、「最近6大会で4度も優勝している日本は無敵艦隊のようなものだ」と何度も書いているが、アジアカップでパレスチナの人々と出会って、とても基本的なことに気づかされた。
日本が強いのは戦争をしていないからなのだ。
取材・文:熊崎敬
パレスチナに行ったことがないぼくは、こんなに大勢のパレスチナ人に出会ったことがなかった。
当事者たちも驚いていた。シドニーからバスを連ねてやって来たファンの中には、打ち振られる無数の「国旗」を目の当たりにして「こんなにいるなんて」と目を丸くする人もいたのだ。
多くの民族が共生するオーストラリア、調べてみるとパレスチナ人は実に7000人近く暮らしているという。
「オーストラリアのアジアカップって何だか変だよね」
日本を発つ前、友人とそんな会話をしていたが、考えてみればこの国にはたくさんの移民が暮らしている。パレスチナ人もイラン人も日本人も中国人もたくさんいる。もしかしたら、アジアカップを開催するにふさわしい場所かもしれない。
イランが2-0でバーレーンを破った翌日、テヘランに住む旧知のイラン人から、こんなメールが届いた。
「イラン人は世界中にいるけど、オーストラリアにもこんなにいるんだね。俺の周りは、みんな驚いているよ」
今回のアジアカップに、いちばん胸を躍らせているのがパレスチナ人だろう。自分たちの代表チームが、アジア最強を争う大舞台に初めて立つことになったのだ。
ヨルダン川西岸で生まれ、9歳のときシドニーに渡ってきたという18歳のアミールさんは、その喜びをこう語った。
「この興奮は、きみには理解できないかもしれないよ。しかもデビュー戦の相手が、チャンピオンの日本というのがいいよね。これはワールドカップでブラジルと対戦するようなものなんだよ。勝てるとは思わないけど、200パーセント、ベストを尽くすよ」
ガザからシドニーに逃れてきた35歳のオメルさんも、「この気持ちは、ちょっと言葉にできないよ」と話していた。
その「言葉にできない気持ち」は、手にした旗が表わしていた。
「サッカーを応援するには、やっぱり国旗が要るだろう。世界が見守る中で、パレスチナの国旗を振りたいじゃないか。だから俺は人生で初めて針と糸を手にして、2日がかりでこれを縫い上げた。この竿だって、近所の林で探してきたんだ」
こんなに不細工な旗はないかもしれない。でも、これこそがパレスチナの不屈の精神を物語っている――。ぼくはそう思った。
試合当日、地元紙「デイリー・テレグラフ」には、次のような選手の言葉が載っていた。
「アジアカップでプレーできるのはほんとうに誇らしいし、このことは世界中への強いメッセージになると思う。ときにスポーツは、政治よりも主張を伝えることができるんだ」
たしかに、その通りだなと思った。
私たちは戦争以外のパレスチナを知らない。代表チームがアジアカップに出ることで、彼らは自分たちの人生や思いを世界中に伝えることができるのだ。
実際に、この試合でぼくも学んだ。日本がパレスチナと戦ったことで、故郷を捨ててオーストラリアに渡らなければならなかったパレスチナ人が10万人もいた、ということを知った。
政治家のひと言よりも、この日、スタジアムを包み込んだ国旗や歌声の方が、より多くの人に、より深い何かを伝えられるかもしれない。
イスラエルに抑圧された国、パレスチナの代表チームは満足に活動することができない。
家族に会えない選手がいて、仕事でアジアカップに来られない選手もいるという。移動も制限されている。
パレスチナの人々には戦時中というのが平時であって、その中でスポーツをするということがどれくらい大変なことなのか、平和に慣れたぼくには正直、想像もつかない。
生きることが大変なパレスチナと、だれにも邪魔されることなくサッカーに専念することができる日本。あまりにもかけ離れた環境に、この試合をどう捉えればいいのか途方に暮れてしまった。
このウェブでぼくは、「最近6大会で4度も優勝している日本は無敵艦隊のようなものだ」と何度も書いているが、アジアカップでパレスチナの人々と出会って、とても基本的なことに気づかされた。
日本が強いのは戦争をしていないからなのだ。
取材・文:熊崎敬