香川、クロート代理人、通訳の山守氏が現われた決定的瞬間。
香川真司は、3年ぶりに舞い戻ったドルトムントでメシア(救世主)のように祝福されている。そして、マンチェスター・ユナイテッドで苦悩の2年間を過ごしたその顔には、笑みが戻った。
【写真】香川、ドルトムント移籍決定の瞬間
それにしても、「失われた息子」を連れ戻す移籍オペレーションが、いかに劇的で緊張に満ちていたか。ドルトムントのハンス=ヨアヒム・ヴァツケCEOは、常々語っていた。
「ボルシア・ドルトムントは、香川真司に対してつねにドアを開いている」
それは空疎な言葉ではなかった。
プレミアリーグでプレーするという子供の頃からの夢を叶えるため、香川が旅立ったのは2012年の夏だった。1600万ユーロ(約22億4000万円)の移籍金をドルトムントに残し、マンチェスターへと渡った。しかし、イングランドでは幸福にはなれなかった。香川はほとんどの時間をスター軍団のベンチで過ごした。
香川がドルトムントへ戻ってくるという噂は、かなり前からあった。とはいえ、実際には不可能だと思われていた。税抜きで400万ユーロ(約5億6000万円)は下らないというユナイテッドでの高額年俸が、ひとつの大きな足かせだった。
400万ユーロはドルトムントにとっては天文学的な額であり、クラブ首脳にそれだけの大金をコミットするつもりはなかったし、できなかった。
一方のユナイテッドにも、簡単に手放したくない事情があった。香川はクラブに経済的な恩恵をもたらすマーケティングの担い手でもあったのだ。アジア市場に限らず、彼はイングランド国内でも訴求力があった。2013年、香川のユニホームはチームで3番目に多く売れた。ロビン・ファン・ペルシ、ウェイン・ルーニーに次ぐ3番手だ。
そんななか、香川のドルトムント移籍が間近に迫っているという情報が流れたのが、9月1日の移籍期限が差し迫る8月の最終週だった。
いつになく信憑性が高いこの情報に、『ビルト』紙のレポーターである私も動き出した。もっとも、香川獲得の真偽を問い質す私に、ヴァツケCEOも、ミヒャエル・ツォルクSDも、当初はまったく取り合わなかった。憶測に対してコメントはしないと、そう言った。
8月29日、金曜日。香川がメディカルチェックのためにドルトムント入りするという情報が駆け巡る。市内のクナップシャフト病院に報道陣が殺到する。だが、香川は現われなかった。
ドルトムントのクラブオフィスで張り込んでいた『ビルト』の嗅覚は正しかった。この頃、オフィスに香川の代理人トーマス・クロートが入っていくのをキャッチしたのだ。ツォルクSDと交渉するために違いない。しかもこの日の夜、ドルトムントはアウェーでアウクスブルク戦を予定していた。それなのにツォルクがオフィスにいるのは普通ではない。
この時点でも、クラブ側は香川の獲得交渉を進めている事実を認めなかったが、「まだ詳細を詰めなくてはならない」という言葉を聞いて私は確信した。香川は本当にドルトムントに帰ってくるのだ、と――。
8月31日、日曜日。カメラマンを伴ってドルトムントが定宿にしているホテル『l’Arrivee』で張っていた私の目の前に、香川、クロート代理人、そして通訳の山守氏が現われた。決定的な瞬間だった。
香川に歓迎の言葉をかけ、握手をしたのは、その数時間後だ。彼と会うのは、2012年の優勝パレード以来だった。あの時は2人ともビールグラスを手にしていた。
【写真】香川、ドルトムント移籍決定の瞬間
それにしても、「失われた息子」を連れ戻す移籍オペレーションが、いかに劇的で緊張に満ちていたか。ドルトムントのハンス=ヨアヒム・ヴァツケCEOは、常々語っていた。
「ボルシア・ドルトムントは、香川真司に対してつねにドアを開いている」
それは空疎な言葉ではなかった。
プレミアリーグでプレーするという子供の頃からの夢を叶えるため、香川が旅立ったのは2012年の夏だった。1600万ユーロ(約22億4000万円)の移籍金をドルトムントに残し、マンチェスターへと渡った。しかし、イングランドでは幸福にはなれなかった。香川はほとんどの時間をスター軍団のベンチで過ごした。
香川がドルトムントへ戻ってくるという噂は、かなり前からあった。とはいえ、実際には不可能だと思われていた。税抜きで400万ユーロ(約5億6000万円)は下らないというユナイテッドでの高額年俸が、ひとつの大きな足かせだった。
400万ユーロはドルトムントにとっては天文学的な額であり、クラブ首脳にそれだけの大金をコミットするつもりはなかったし、できなかった。
一方のユナイテッドにも、簡単に手放したくない事情があった。香川はクラブに経済的な恩恵をもたらすマーケティングの担い手でもあったのだ。アジア市場に限らず、彼はイングランド国内でも訴求力があった。2013年、香川のユニホームはチームで3番目に多く売れた。ロビン・ファン・ペルシ、ウェイン・ルーニーに次ぐ3番手だ。
そんななか、香川のドルトムント移籍が間近に迫っているという情報が流れたのが、9月1日の移籍期限が差し迫る8月の最終週だった。
いつになく信憑性が高いこの情報に、『ビルト』紙のレポーターである私も動き出した。もっとも、香川獲得の真偽を問い質す私に、ヴァツケCEOも、ミヒャエル・ツォルクSDも、当初はまったく取り合わなかった。憶測に対してコメントはしないと、そう言った。
8月29日、金曜日。香川がメディカルチェックのためにドルトムント入りするという情報が駆け巡る。市内のクナップシャフト病院に報道陣が殺到する。だが、香川は現われなかった。
ドルトムントのクラブオフィスで張り込んでいた『ビルト』の嗅覚は正しかった。この頃、オフィスに香川の代理人トーマス・クロートが入っていくのをキャッチしたのだ。ツォルクSDと交渉するために違いない。しかもこの日の夜、ドルトムントはアウェーでアウクスブルク戦を予定していた。それなのにツォルクがオフィスにいるのは普通ではない。
この時点でも、クラブ側は香川の獲得交渉を進めている事実を認めなかったが、「まだ詳細を詰めなくてはならない」という言葉を聞いて私は確信した。香川は本当にドルトムントに帰ってくるのだ、と――。
8月31日、日曜日。カメラマンを伴ってドルトムントが定宿にしているホテル『l’Arrivee』で張っていた私の目の前に、香川、クロート代理人、そして通訳の山守氏が現われた。決定的な瞬間だった。
香川に歓迎の言葉をかけ、握手をしたのは、その数時間後だ。彼と会うのは、2012年の優勝パレード以来だった。あの時は2人ともビールグラスを手にしていた。