関川が明かすイメージとプレーが一致しなかった理由
関川郁万(3年)は夏のインターハイで主役を担うはずだった。しかし、流経大柏は地区予選準決勝でまさかの敗退。5年ぶりに出場権を逃し、高校最後の夏は静かな日々となった。
関川は超高校級のCBだ。1年生の頃からレギュラーとして起用され、昨年はU-17日本代表にも招集された。跳躍力とヘディングの強さは世代屈指。得点力の高さや負けん気の強さも高く評価されており、昨夏のインターハイでチームの全国制覇に貢献して一気にブレイクを果たした。
今年の5月には鹿島への入団が内定。その事実からも将来を嘱望されているのが分かる。
ただ、今季の関川はポテンシャルをフルに発揮できていなかった。理由は怪我に悩まされていからだ。
昨夏に痛めた右膝が昨冬の選手権決勝で悲鳴を上げ、大会終了後に即手術して約半年もサッカーから離れた。
今季は主将を任されていたが、チームとは別行動。リハビリを余儀なくされ、もどかしい毎日を過ごしてきたなかで6月の地区予選で戦列に戻った。
ただ、怪我が完治していたわけではない。主治医に頼み込んで、半ば強引にピッチに戻ったという。それほどまでにサッカーに飢えており、チームリーターとしての責任もひと一倍感じていたからこその決断だった。
しかし、本調子には程遠く、関川はチームを全国に連れていけなかった。その敗戦はあまりにもショックが大きく、関川の脳裏に焼き付いた。「悩みました。周りからすれば、『進路が決まっていて良いよ』と思われるかもしれない。自分はこのチームで全国を獲りたかっただけなのに...」と本人が話すように、敗退後は注目を集める存在だったからこその悩みを抱えていたという。
その出来事は心技体のバランスを崩す結果となった。チームを率いる本田裕一郎監督は当時の状況をこう振り返る。
「かなり大変だった。(怪我の影響で)スピードが落ちていたのと、自分はこんなはずじゃないと思っていたと思う。やってやるという気持ちはあるけど、身体が付いていかなかった。あとはプロ入りも決まったので、他とは違うという想いもあったと思う」
イメージするプレーと身体が一致しない――。
思い通りに動けない状況から抜け出すまでに多くの時間を要した。本人も指揮官の指摘を認め、「本当にその通りですね。自分が抱え込んでしまう感じだった」という。
関川は超高校級のCBだ。1年生の頃からレギュラーとして起用され、昨年はU-17日本代表にも招集された。跳躍力とヘディングの強さは世代屈指。得点力の高さや負けん気の強さも高く評価されており、昨夏のインターハイでチームの全国制覇に貢献して一気にブレイクを果たした。
今年の5月には鹿島への入団が内定。その事実からも将来を嘱望されているのが分かる。
ただ、今季の関川はポテンシャルをフルに発揮できていなかった。理由は怪我に悩まされていからだ。
昨夏に痛めた右膝が昨冬の選手権決勝で悲鳴を上げ、大会終了後に即手術して約半年もサッカーから離れた。
今季は主将を任されていたが、チームとは別行動。リハビリを余儀なくされ、もどかしい毎日を過ごしてきたなかで6月の地区予選で戦列に戻った。
ただ、怪我が完治していたわけではない。主治医に頼み込んで、半ば強引にピッチに戻ったという。それほどまでにサッカーに飢えており、チームリーターとしての責任もひと一倍感じていたからこその決断だった。
しかし、本調子には程遠く、関川はチームを全国に連れていけなかった。その敗戦はあまりにもショックが大きく、関川の脳裏に焼き付いた。「悩みました。周りからすれば、『進路が決まっていて良いよ』と思われるかもしれない。自分はこのチームで全国を獲りたかっただけなのに...」と本人が話すように、敗退後は注目を集める存在だったからこその悩みを抱えていたという。
その出来事は心技体のバランスを崩す結果となった。チームを率いる本田裕一郎監督は当時の状況をこう振り返る。
「かなり大変だった。(怪我の影響で)スピードが落ちていたのと、自分はこんなはずじゃないと思っていたと思う。やってやるという気持ちはあるけど、身体が付いていかなかった。あとはプロ入りも決まったので、他とは違うという想いもあったと思う」
イメージするプレーと身体が一致しない――。
思い通りに動けない状況から抜け出すまでに多くの時間を要した。本人も指揮官の指摘を認め、「本当にその通りですね。自分が抱え込んでしまう感じだった」という。