J2降格への責任も感じていたなか、移籍を決断。
5年ぶりの帰還に、当時を知る湘南の関係者は口を揃えて「嬉しい」と喜びを露わにしていた。正直に言うと、筆者も同じ気持ちである。
大野和成は新潟U-18の出身であり、上越市出身初のJリーガーでもある。新潟にとっていわゆる“生え抜き”の彼が、2012年と13年に期限付きで在籍した湘南に完全移籍で帰還した。昨シーズンに降格した新潟では主将を務めたものの負傷もあり、14試合・772分の出場に留まり、言うまでもなく“不完全燃焼”で終えたシーズンであった。この状況で移籍をしたということで新潟ファンとしてはショッキングであろう。ただ、責任を感じ、新潟へ残るという選択肢も、もちろんあったと語る。
「キャプテンを任された中で怪我をしてしまった。不本意だったので残ろうと思っていたんですけど、いろいろあってやっぱり自分の成長が大事だなと思った。今回はレンタルでなくて完全移籍でしたし、もう後戻りはできないじゃないですけど、覚悟を持ってやりたいなと」
先述したように高卒でトップ昇格を果たした大野だったが、そこから3シーズン半でリーグ戦の出場はわずかに11試合。4年目の途中から愛媛へ期限付き移籍し、17試合に出場した後、12年から湘南へ戦いの場を移した。1年目の曺貴裁監督のもと、下馬評を覆して自動昇格を勝ち取ったこのシーズンで、大野はプロ入りしてから初めて中心選手として1シーズンを戦う経験をしたのである。そしてJ1に移籍した翌年、新潟からは帰ってくるように声をかけられたものの、「J1でもう1年間、このメンバーでやりたい」という想いがあり、湘南残留という運びになった。
当時の社長である大倉智氏(現・いわきFC代表取締役)が「新潟さんには本当に感謝しかない」と語っていたのを鮮明に覚えている。それくらい、大野は曺貴裁監督が築いた“湘南スタイル”の体現者であり、外せないピースであった。しかし、若き湘南は残留を果たせず、1年で降格という憂き目に遭う。そして大野は新潟へ戻ることになった。
その後の4年間は舞い戻った新潟で、湘南で得た自信と経験を出し切れたかといえば、決してそうではないように思える。湘南で大野が輝けたのは3バックの一角からアグレッシブに前に出ていき、積極的にボールを“奪う”スタイルがハマったからだ。2012年にともにプレーをした坂本紘司SDも「無謀なラインコントロールを当時はしてましたね(笑)。でも、面白かったですね。後ろから積極的に上げてくれるからプレスをかけやすいですし。湘南のスタイルに間違いなく合っていた」と振り返る。
降格した昨年の新潟は“引き込んでからカウンター”という戦術で長らく戦っており、その中で大野がフィットしていたとは言い難い。三浦文丈監督が率いていた序盤には、その守備ラインの低さに疑問を呈していたこともあった。
大野和成は新潟U-18の出身であり、上越市出身初のJリーガーでもある。新潟にとっていわゆる“生え抜き”の彼が、2012年と13年に期限付きで在籍した湘南に完全移籍で帰還した。昨シーズンに降格した新潟では主将を務めたものの負傷もあり、14試合・772分の出場に留まり、言うまでもなく“不完全燃焼”で終えたシーズンであった。この状況で移籍をしたということで新潟ファンとしてはショッキングであろう。ただ、責任を感じ、新潟へ残るという選択肢も、もちろんあったと語る。
「キャプテンを任された中で怪我をしてしまった。不本意だったので残ろうと思っていたんですけど、いろいろあってやっぱり自分の成長が大事だなと思った。今回はレンタルでなくて完全移籍でしたし、もう後戻りはできないじゃないですけど、覚悟を持ってやりたいなと」
先述したように高卒でトップ昇格を果たした大野だったが、そこから3シーズン半でリーグ戦の出場はわずかに11試合。4年目の途中から愛媛へ期限付き移籍し、17試合に出場した後、12年から湘南へ戦いの場を移した。1年目の曺貴裁監督のもと、下馬評を覆して自動昇格を勝ち取ったこのシーズンで、大野はプロ入りしてから初めて中心選手として1シーズンを戦う経験をしたのである。そしてJ1に移籍した翌年、新潟からは帰ってくるように声をかけられたものの、「J1でもう1年間、このメンバーでやりたい」という想いがあり、湘南残留という運びになった。
当時の社長である大倉智氏(現・いわきFC代表取締役)が「新潟さんには本当に感謝しかない」と語っていたのを鮮明に覚えている。それくらい、大野は曺貴裁監督が築いた“湘南スタイル”の体現者であり、外せないピースであった。しかし、若き湘南は残留を果たせず、1年で降格という憂き目に遭う。そして大野は新潟へ戻ることになった。
その後の4年間は舞い戻った新潟で、湘南で得た自信と経験を出し切れたかといえば、決してそうではないように思える。湘南で大野が輝けたのは3バックの一角からアグレッシブに前に出ていき、積極的にボールを“奪う”スタイルがハマったからだ。2012年にともにプレーをした坂本紘司SDも「無謀なラインコントロールを当時はしてましたね(笑)。でも、面白かったですね。後ろから積極的に上げてくれるからプレスをかけやすいですし。湘南のスタイルに間違いなく合っていた」と振り返る。
降格した昨年の新潟は“引き込んでからカウンター”という戦術で長らく戦っており、その中で大野がフィットしていたとは言い難い。三浦文丈監督が率いていた序盤には、その守備ラインの低さに疑問を呈していたこともあった。